594話 お産を知らない世代

さて、延々出産まつわる話を書いている。


書きたいことはまだまだあるけれども、このブログは筆者の日記の機能も兼ねている。後日、このころはああだった、こうだった、あそこ行った、何思った、ということも書いておきたいので、一度中休みとすることにさせていただく。


もちろん、「出産の話じゃなかったらもう読まないわよ(28歳OL)」という脅迫状とか「書いて、書いて (21歳 ただいま助産士の学校で勉強中!)」の熱烈メールなどがあれば、筆者即座に前言撤回する尻軽なおとこであることも追加しておく。


さてこの12月に無事めでたく挙式を迎えたはずの会員のA野さんに、一年ほど前に、何かのきっかけで我が家の自然出産体験記を話したことがある。


この出産の際、筆者は分娩台に上がり、四つんばいになる家内を前から支えて、一部始終を体験したので、当事者かなり近い立場で出産を語れるのである。


【注】語り出すと(書き出すと)優に4日〜5日を超える中身があるので、ここでは書かない。興味がある方は道場で直接聞いてね。


一通り話終えたあと、A野さんはマジな顔で筆者に言った。


「私の出産の時、先生に取り上げてほしい」(ホントにこう言った)


もちろん、それは私の職業の範疇を越えているし、さらに彼女の将来のご主人をはじめ周囲の理解を得るための困難さを考えると不可能であるので丁重にお断りをした。


しかし、その会話の中で確認したことは、A野さんはそれまで、出産というものがどういうものなのか、いうリアルな話を聞いた経験が全くないということであった。彼女その時20代後半の年齢であった。


ちまたでは「性にまつわる情報が氾濫している」と言うがこれは断じて間違えである。



「性行為」にまつわる情報が過剰なほどあふれているだけで、その結果と出産にまつわる情報というものは驚くほどないのである。


ちまたにあふれる性行為にまつわる商業映像に関して言えば、男性の視点で、男性が興奮するかどうか、という一点に絞られて演出された映像があふれているのであって、男女の営みに関しての知識として、よい子が将来に備えて学習する教材としてははなはだ不適当である。


女性の描写にしたって、性行為時対象となる粘膜部分およびその周囲の性的快感強調映像であって、その他の「充実感」とか「満ち足り感」とか「幸福感」というようなものは、ほとんど皆無である。


女性側が性行為によって得たいとしているものの情報というのは、実に少ないというかほとんど聞いたことがない。得たいとしているものと書いたが、それも性的快感としてそれまで知り得た情報から期待しているものと、(それは男女ともであるが)そういう性的粘膜的快感を越える人と人の上質のふれあいから得られるもの、というような視点の情報になるとさらに少ない。


そりゃそうだ。筆者はその職業柄一日中人にふれ、また無意識反射・無意識運動の実践と研究を朝から晩までやっているので「そういうものがある」という実感と確信と情報を得ているが、それだってここで見ず知らずの方々に赤裸々に公開しようとは思わないもん。


その当たりに関してまじめにお話しましょう、という方は、道場でどうぞ。(つづく)