601話 ああ、偉大な炭酸せんべい 1
昨日有馬温泉の話を書いた。「お土産に炭酸せんべいをぶら下げて」と書いた。
おおお、炭酸せんべい!
有馬と言えば炭酸せんべい。
今のように食文化お菓子文化華やかでない、昭和40年代。我が少年時代。
誰のお土産だったか、それは定かではないし、それが「炭酸せんべい」だとも知らずに食べた炭酸せんべいの衝撃のうまさを忘れることはできない。
せんべいというのは、瓦せんべい、もしくは海老せんべい(直径3.8㎝ぐらいの白地の薄味せんべいに赤い小エビというかプランクトンの親玉のような海老が貼り付けになったやつに青のりが点在しているせんべい)か、しょうゆで倖田來未のように真っ黒になった地肌にべったりと海苔を貼り付けた、差し歯で噛んだら歯が欠けそうになるぐらい固いやつしか知らなかった筆者に、炭酸せんべいは衝撃のうまさだった。
えびせんほど白すぎず、しょうゆせんべいほど日焼けしておらず、ほんのりと小麦色(って原料が小麦粉だっちゅうの)に色づいた肌に、ボディラインは限りなくスリム。
そして表面には無粋な黒海苔などはまとっておらず、一糸まとわぬ全裸である。
そしてそのボディラインの円周に沿った外縁部には、およそ伝統派せんべいには思いもよらないであろう、アルファベットの刻印が刻まれているのである。
なになに。
ARIMA MEISAN TANSAN SENNBEI
ローマ字も読めなかった幼少期の筆者には、限りなくハイカラ、限りなくファッショナブル、限りなくインターナショナルに思えたであろう。
音読すると
アリマメイサンタンサンセイベイ
となる。要するに
「有馬名産 炭酸煎餅」
と書いてあるだけなんだけど、我が少年時代はまさかそんな「そのまんまやんけ」という解読はできず、ただただアルファベットの刻印のあるハイカラなせんべいだと感じていたのである。
その洋風の風味がいかに先覚的・前衛的・刺激的・衝撃的で脱・伝統的であったかというと、有馬からよっこらしょと六甲山を山越えした神戸の街では、炭酸煎餅を二枚合わせて刻印をはぎ取り、クリームをはさんで「ゴーフル」という名前をつけて洋菓子の看板菓子にしちまった洋菓子屋があることでもわかる。
ああ、偉大なるかな炭酸せんべい。
後年山歩きをするようになり、有馬まで足を伸ばすようになり、そこで「衝撃的なうまさのせんべい」が「有馬名産 炭酸煎餅」であったことに気づいた時の喜び。
もしも、筆者が山歩きをするようにならず、有馬で炭酸せんべいとの再会を果たしていなかったら、探偵ナイトスクープに調査の依頼のお手紙を出していたやもしれぬ。
「僕が幼い時に食べた、小麦色で、薄くって、とっても香ばしくって、独特の風味があって、ただ甘いだけじゃなくって、なんか刻印のあった美味しいせんべいともう一度会わせてください」
と西田局長にお願いしたかもしれぬ。(つづく)