603話 似合う?

早朝よりすずなの散歩。

後、大掃除の小掃除(ってややこしい言い方)を10時前までずばばばばっと家族で片づけた後、我が家のペットホテルである、N階理髪店へ長男と向かう。


男前を上げた後、家内&お義父さんは和歌山の田舎のお墓参り。筆者および3名の子どもたちで、尼崎の筆者の実家経由で母を乗っけて大阪市内の墓参りへ。


都島の商店街にほど近いお墓のすぐ前にあるのが、お好み焼きの「花まる」。


娘二人はここの「洋食焼き」を、長男は「ネギ焼き」をそれぞれ熱望している。車をコインパーキングに止めた後に、使命を帯びて敵方に潜入する忍者部隊のごとく、数隊にわかれ、迅速にミッションを開始する。


一隊は「お墓に供えるお花の買い出し」、一隊は「先行してお墓を洗い始める」。


そして、筆者に与えられたミッションは「お墓参りの終了時に焼き上がるように、今のうちに花まるにお好み焼きを注文する」というものであった。


そして墓参りも無事終了。花まるに行くと、まさに今焼き上がりという絶妙のタイミング。はふはふと食らい、さらネギ焼きや焼きうどんを追加し、今年最後のお好み焼きを堪能する。


そして、帰路。ホームセンターで若干の買い物の後、尼崎のユニクロへ。


ひろきにはエアテックのジャケットを。まいにはフリースのパジャマ。そしてあさちゃんにはリバーシブルの毛糸の帽子などを買い求める。


我が家の子どもたちはどうして、こうも帽子が似合うのであろう。そしてどうしてこうも筆者は「ファッショナブルな帽子」が似合わないのであろう。


ファッショナブルというのにははばかられるが、例えばナイキのキャップ(要するに野球帽ね)をかぶった場合、子どもたちはスポーティであったり、ボーイッシュだったり、という形容詞を使ってもそうおそれおおくない程度には似合う。


しかし、いかなるつば付きの帽子であろうと、筆者がかぶると、「ヰセキコンバインの上に乗る田植えの時期の農家のおじさん」に見える(らしい、というか自分でもそう思う)


またキャップ前面についているロゴが「ナイキ」であっても、筆者がかぶっているのを見ると「四角いプレートに書かれた53などの数字」に見え、「初競りを仕切る下関のふぐの競り市」や「境港の魚市場で松葉蟹を競り落とそうとする仲買人」のおじさんに見える。(らしいとうか筆者もそう思う)


およそ、機能とは無関係のファッション性に関しては、筆者はまったく映えない。


しかしながら、黒ゴムの長靴、太股のサイドに大型のポケットのついた作業ズボン、あるいは白い木綿で腰できゅっと締める板前さんの前掛けとか、五本指靴下とか、軍手とか、実用一点張りのフリーサイズ可能なごついモスグリーンの布ベルトなどの着こなしに関しては、筆者は周囲の男性の誰よりもフィットし、似合うという自負はある。


そして、それはそのまま生理的な反射に反映しており、「メンズファッションのお店」などは自発的に入ろうと思ったことはなく、入ったとしても居場所がなくてそわそわし、一刻も早く退散したいという衝動に駆られる。


一方「作業服と鳶の店 ライオン堂」などに行った場合は、実に安住感、安心感に包まれ、心地よく様々な作業服と作業関連グッズの機能美を心ゆくまで楽しむことが出来る。


筆者、ひたすら機能美が好きなのである。


「2006年 ベスト作業服ニスト」とか「作業服の似合うお父さん 2006」などのコンテストがないのが残念である。


実家へ帰宅後、笹部さんのパスタの店、とっても美味しいし値段も高くないし、表通りの目立つ場所にもあるし、お店の人の対応も悪くないし、駐車場もお店のすぐ裏にあって、特に非の打ち所のないお店なのに、何故かお客さんが少ない不思議なイタリアンレストラン「ポポロ」にて今年最後のイタリアンを賞味した後、和歌山へ帰宅。


あわただしい年の瀬の一こまであった。