605話 大晦日

晦日である。


昨日は年の瀬ではあったけれども、ラーメンと川原と温泉のツアーに一日を費やしたので、年内にすべきことのとことごとくが本日に集中する。さすがは大晦日である。

ここまで小掃除は数回やったけれども、まだまだ掃除すべき箇所は多く残っている。午前中から昼食をはさんで3時頃まではせっせと大掃除に励む。


まずはベランダ。ウッドデッキ仕様のつくりになっていて、今はそこに犬小屋を置いて、すずなの本拠地になっている。元々の予定では、一階の裏に小屋を置いていたのであるが、番犬としての本能に忠実な和犬の柴犬のすずなはやたら夜中にやたらほえる。真夜中にいちいち裏庭まで降りていくのも苦労なので、ついにベランダで飼うことになったのである。


しかし、もともと犬を飼う想定のなかったベランダであるから、犬から出る大量の抜け毛などは予定外なのである。抜け毛を放置していると、しまいにデッキ下の排水パイプを詰めてしまう。


ウッドデッキ仕様というのは、ようするにスチールの板がウッドデッキのように並んでいるわけで、その板と板の間に落ちている犬の家をまめに取らなければならない。


約50枚の板と板の隙間に、割り箸を突っ込んで、綿菓子をつくるかのようにすくいとって集めては、掃除機に吸い取らせるという作業を、隅から隅まで50本の全ての板の隙間ごとに繰り返す。


一時間以上かかって終了。


つぎには、網戸に掃除機をかける。あさちゃんとタッグを組んで、あさちゃんが室内から網戸に新聞紙を広げて当て、筆者が外側から掃除機をあてて付着したほこりを吸い込んでいく、という作業である。


さらに自室の片づけや掃除機、録画したままたまりになまった古ビデオの整理などとつづいて、ついにはめったにやらない洗車まで、これはまいちんに手伝ってもらってぴかぴかに洗う。大掃除、3時過ぎに終了。


しかし、年末にこのような「由緒正しい正統派年の瀬行事」に打ち込むのも久しぶりというか初めてというか。昨年までは会報作成の担当があったので、新年号の編集作業で年末は追いまくられていたのであった。

正月の2日に折り作業をして、3日に郵便局に持ち込んだ年もあったし、紅白歌合戦をカーラジオで聞きながら、大晦日の夜に大阪中央郵便局に車を走らせた年もあったのであった。まこと段取りの悪い過去の筆者であった。


夕方から深夜にかけては、残りの年賀状の宛名の書き上げ。

今年は12月上旬に年賀状が出来上がるという画期的な年であった。しかしながら、一枚ずつていねいに毛筆で宛名を書き、出来る限り自筆のメッセージを添えるという段取りで進めていったら、今日までに終わらなかったのであった。


年末の休みは「太閤の湯 親子の旅」やら、「実家往復美食づくしの墓参り」やら「ラーメンと川原と蔵の湯ツアー」など遊びほうけていたので、年賀状が進まなかったという実情もある。


しかしながら筆者は、自分の良きことは徹底的に評価し、悪しきことは徹底的に過小評価するのを信条としているので、「12月のはじめに年賀状が完成した事実」は三倍ズームで評価し、「年内に投函できなかったこと」は、超広角レンズで「多事の中のちいさな一つ」として登録しているので、ストレスにはならず、「k1」などを見ながら着々、淡々と仕上げていく。

「筆者は、自分の良きことは徹底的に評価し、悪しきことは徹底的に過小評価するのを信条としている」ために、筆者にとって「悪い年」というのは基本的に存在しない。良い年ばかりである。

しかしながら、今年は掛け値なしに尻上がりに実にいい年であった。


何がどういいかというのは、筆者以外には興味はないだろうから触れないが、実にいい歯車の巡り合わせになってきたのである。


しかし、それらの筆者にやりがいや達成感や幸福感や快適感や充実感や意欲や気力をもたらしてくれた数々のできごとや事柄の、一つとして筆者独力で開拓し、獲得したものはない。常に数多くの方とのご縁の中でもたらされたものばかりである。


このブログを継続してお読みの方々は、実に多くの登場人物がいることに気づかれるであろう。しかし登場はされていないけれども、筆者の幸福感獲得に多大な影響を頂いた方も数多くあるのである。師匠・弟子・家族・会員の方々・親戚縁者・友人・知人。


年の終わりにあたり、お一方ずつのお名前をここで書くことはできないけれども、それら全ての方々に心よりお礼を申し上げる次第である。


もちろんその幸福なご縁が得られるのも、筆者の人徳である。