610話 こいつは春から縁起がいいわい 後編

すずなは、せっかくの散歩だと楽しくお出かけしたのち、和歌山城の広々とした庭園に到着するやいなや、あずまや横の水道につながれ、横でご主人様のぴーひゃらがひとしきり終わるまで、あるいは「競輪おじさん衆」との会話が終わるまでは動けないので、20分ほどたつと「どっか連れてけ」とわんわん吠えるのである。


そこで、尺八のお稽古が終わった後、「謎の古武術ギャル」が来ていない日は、欲求不満のすずなを広場で走らせることにしている。もちろん、綱を放すとどっかへ行ってしまうので、人間さまも一緒に走ることになる。柴犬の欲求に沿って走るとなると、なかなか厳しいダッシュの連続となる。今のように体が異常に?疲れなくなるまでは、なかなかやる気にならないメニューである。とひとしきりダッシュが終わったら、寄り道なしで帰宅。


以上が朝のすずなとの散歩コースの概略である。


尺八というのは、音響部分というのは、竹の縁を斜めに削ぎ削っただけなので、固いものが当たると簡単に欠けてしまうので、革状のキャップをかぶせて保護している。ところが、昨日帰ったら、そのキャップがなくなっている。いったいどこで落としたものか。


尺八はそのままだと50センチほどの長さになって持ち運びに不自由なので、二つに外れるような構造になっている。二つに分けるとコートの大きなポケットに余裕で入る。ポケットに手を出し入れしたのは、帰路ですずなが二度目のうんちの際に袋を出した時だけのはずなので、今朝はその「うんちしたスポット」周辺を探したが、やはりない。絶対にそこ、という確証もないが、他に心当たりがないので、あきらめるしかない。


さて、今朝も二の丸庭園の芝生広場をさんざんすずなとダッシュした。往復ダッシュに、トラック状に走る。さんざん走って(走らされて)止まって、ふと足下を見ると、なんと尺八キャップが落ちているではないか。


ここを走っていた時は、コートを脱いでいたはずなので、昨日走った時に落とすはずもないのだけれど、落ちている以上はここで落としたに違いない。理由はどうでもよい。見つかったんだから。


なんにしても、この広いお城の中で、数㎝の大きさのキャップが見つかること自体が、奇跡的としか言いようがない。お正月休みも幸いしたと言える。でなければ、お城の管理・清掃の人にゴミとして処理されたに違いない。


筆者は、自分に起こる良きことは光学5倍超望遠で拡大して認識し、悪しきことは超広角レンズでささいなことに変換する、という習慣があるので、この「紛失キャップがダッシュの後で偶然見つかる」という僥倖は、この一年の幸福、幸運、無病息災、家内安全、商売繁盛、勇気凛々、大願成就を二重丸で保証したがごとくの出来事として認識している。


こいつぁ春から縁起がいいわい。