619話 ベッドと机と肥後乃守 4

中学三年から高校一年のころだったと思う。山の雑誌を見るとアルミフレームのリュックサック、いわゆるバックパッキングが流行っていたが、中学生・高校生がおいそれと買える値段ではなかった。ねだってかってくれる家でもなかった(ような気がする)


やむなく木で作った。アルミフレームのザックがかっこいいのは、計量でスリムな所である。細いフレームが型くずれしないザックを支えるのである。


アルミフレームと同じ太さで作ると、荷物を入れたとたんに折れるのは筆者にも予測できたので、荷物を載せても大丈夫という太さの木で作り、ザック一体式は無理なので、ザックをくくりつけても落ちないようにL字型に下部にたなを作り、背中に当たる部分は痛くないようにロープを巻いた。


できあがったのは、これに薪をくくりつけると、どう見ても二宮金次郎というしろものだった。いわゆる背負子である。


そうか、背負子はかっこわるいから、細いアルミフレームで真似したものが「バックパッキング」のザックだったんだ。それを木で作れば先祖帰りして二宮金次郎に戻っちゃったんだ。


できちゃったものはしかたがないので、それを担いで高校の「野外活動」に行った。


いずれにせよ、我が血筋には、若かりしころのある時期、木工工作がしたくなるDNAが組み込まれているようである。


そこで、ひろ兄に木工ヤスリをプレゼントしようと思ったが、道場周辺にはホームセンターがない。文房具屋に買い物に行ったら、珍しくも「肥後乃守」があったので、ヤスリ代わりにプレゼントした。


肥後乃守。鉛筆などを昔の少年が削るのに使った折り畳み式の小型和式ナイフである。


プレゼントした日の夜、上階で机製作に向かうひろ兄が


「ほげ〜ぎゃぁあああ〜」と叫び、降りてきた。


折り畳んだ肥後乃守を広げ、ナイフの背に指を当てて押し出すように木を削ろうと試みた彼は、何をトチ狂ったかナイフを見ないで木の断面ばかり見て削ろうとしたのであろう、彼が指を当てていたのは、ナイフの背ではなくてナイフの刃だった。


木を削るに足る圧力で、彼は自分の指を切った。


ひろ兄は、いかにして指を血まみれにする傷を負ったのかということを、楽しそうに語りながら、「5分で止まるかな、10分はかかるかな」と指を心臓よりも上に上げて、ニコニコとしながら、だらだらと血を流していた。


「よし、よし、それでええんや。仕事はなあ、体で覚えんとあかんのや。そうやって痛い思いをするのも勉強や」


と急に名人・法隆寺宮大工棟梁・故・西岡常一翁のような気持ちになる筆者であった。


そして、なかなか立派な机ができあがった。


親父と同じ遺伝子であれば、彼は友人たちから注文を取って机の注文製作をすることになるのであるが、そのあたりはどうなるのであろう。(つづく)