656話 桜早いか 

整体の世界で、日本人にとっての春というのは、「きゅっと締まっていた冬の体が、骨盤・肩胛骨・後頭骨と開いていく時期」とされている。


人間は植物のようには、季節ごとの外見が変わらないけれど、詳細に見ていくとそういう植物のような季節変化をしているのである。


春と言えば桜の季節。桜というのは葉が茂ってから咲くのではなく、「枯れ木に花を咲かせましょう」状態で、枝だけのところにいきなり花がつく。


枝と花だけの組み合わせなので、木全体が花一色となるので、思わず人を花見に誘い、浮かれ騒がせる魅力になっているのだろう。


春になったらいきなり咲くようなイメージがあるが、暖かかくなったから花を咲かそうとしているという単純な構図ではないだろうな、と思っていた。何事にも準備がいる。表面に出てくる前に終わっているからこそ、次のステップに移れるのである。


準備を始めるスタートというか、「よーいドン」にあたるものが必要であるが、それが「厳寒期」であろうと予想していた。


暖かくなる前にきゅ〜〜〜〜っと冷えて、引き締まりの極めがあり、それがゆるむのを合図に、花咲く準備を始め、数ヶ月か一ヶ月ちょっとかは知らないけれど、それぐらいの後に咲くのではないか、と思っていたら、そうそう見当はずれではなかったということが新聞ネタになっていた。


今年の暖冬の影響、桜の開花が早まる説と、早まらない説に専門家も見解が分かれているらしい。


「開化早まる説」は、もうそのまんまである。「春みたいに暖かいんだから咲くでしょ」という根拠である。早まらないかもしれない説は「低温にさらされる時期が短かったため、低温記に始める開化の準備ができていない可能性がある」という根拠だそうだ。


桜にそういう影響が出ているようであるが、筆者の整体時の昨年の記録と記憶と比べてみると、人の体では、昨年よりも骨盤に体の気の焦点が来ている度合いが弱いような気がする。


昨年とは筆者の観察する観点、視点なども微妙に違うし、進歩している面もあるし、また来られている方もどんどん入れ替わっているで、学術的なデータではない。「・・・なような気がする」という感触の話である。


真っ赤に熱して、槌で叩き、水にジュッっと浸けては鍛える日本刀のように、春夏秋冬・寒暑湿乾の季節にもまれて、粘り強く、また繊細で自然の声を感じ取れる豊かな感受性を育ててきたのが日本人の体ではないか、と思う。


この春、冬の引き締まりという一つのステップを全うしていないことが、次の季節を迎えるにあたってどういう影響が出るんだろう。