660話 気持ちいい

体が柔らかくなった、餅のようになった、と騒いでいる昨今の筆者である。


整体だから人に触れるのは日常である。受けている人が気持ちいいのは当たり前だが、触れているこちらが触感の柔らかさに感動する時や人が激増している。

つい先日まで

「おお、俺の腕が上がったのだ。、触れるもの全てがみるみる弾力を取り戻す、花咲かじいさんのような魔法の手になったのだわい」

と密かに、(おおっぴらに)うぬぼれていたのであるが、どうもそうではないようである。


自分が柔らかくなったのも、整体を受ける人が今までよりも柔らかくなるのが早いのも事実ではあるが、実際のところは筆者が感じている半分以下の変化具合というのが、客観的なところであろうと最近は思う。


実際の効果の倍ぐらいに水増しして?感じてしまっているということである。


これはどういうことかというと、自分の中に「柔らかさ感覚」が育ってくると、人の柔らかさにも敏感になるということある。


これは当たり前の話で、自分の中にないものは感じようがない。日本語を聞いて意味が理解できるのは、頭の中に理解した単語や文法が入っているからで、タガログ語スワヒリ語を聞いても意味不明だし、耳にした音を文字に置き換えることさえできない。


小学校5年生の時にビートルズの「レットイットビー」のさびの部分がCMソングで使われていた。同級生の高垣くんと筆者は、声をそろえて

「♪ エルッピ〜  エルピ〜  エルピ〜
                  オ〜 エルピ〜♪」  

と高らかに歌っていた。


筆者と高垣君の頭の中には


「LP」のストックはあったが「レットイットビー」なんてストックはなかったのである。したがって在庫の中から何となく似ている「LP」で代用したのである。というか、本人たちはビートルズも「エルピ〜」と歌っていると信じていたのだが。


ということで、自分の中にやわらかさ感覚のストックがたくさん増えてきたのであろう。整体を受ける人の柔らかさに敏感になれるのである。


しかし、それは整体の時だけに終わらない。


電車の中で触れたり、すれ違いざまにぶつかった時でさえ、柔らかさを感じて気持ちがいいのである。おそらく当たる際に、瞬間的にこちらの力がふにゅっと抜けて接触するようになっているのではないかと思っているのだが、無意識なので正確に分析できたわけではないが。


いずれにせよ、いい傾向だと思っている。自分のあら探しをする人・欠点追求をする人と、柔らかいところやゆるんだところを探す人とどちらがいいかというと明白である。


だから、調整を受ける体の方だって、「おいおい、ここも悪いで、ここも硬いで」という手に触れていると、どんどん悪いところを増やし、硬いところを増やして期待に応えようとするかもしれない。


それよりは「なんてやわらかくって、弾力がある皮膚なんだ、筋肉なんだ。骨格なんだ!」とアプローチされると「あれ、今まで硬いと思っていたのは何かの勘違いだったのかな」となる可能性は一気に高くなる。


こういう感覚で、人の長所ばっかり目に入るような境地に行きたいものである。