673話 すりすりテニス

朝、和歌山発。泉佐野でM鍋さんのお母さんのところへ。先日よりもずいぶんと元気なのでとっても嬉しい。


どどどどっと北上してホロンPBIさんへ。おお!播磨陰陽師末裔のO先生とお久しぶりにお会いする。メモになにやらさらさらと書いたものを手渡される。

「こたび、携帯電話を持ちましてね」

とメールアドレス。

おお、ふだんは祭文を駆使して魔を払うO先生が、さらに携帯メールまで駆使されるのである。そして、このメールアドレスが傑作である。さすが陰陽師と一回で覚えられる素敵なアドレスである。ううう、言いたい。でも個人情報をネットに載せる訳にはいかないから、ううう、言えない。言いたいよ〜。


堺筋線をどどっと北上してK高校テニス部へ。



昨日より始めた「循環式さすりテニス」の二日目。


凄い、凄い!


一日でこんなに上達するか!っていうぐらいみんな動きが良くなっている!


例によって「うまくいったら即交代」の鉄の掟のもとに粛々と進められる「三人組すりすり練習」である。



筆者のヨガ修業時代の師は


「人間は数多くやったことがうまくなる」


と説かれた。


これを「だからたくさん練習すればいい」と受け取っては大間違いである。


うまくなるような練習を数多くやったものはうまくなるが、そうでない場合は、下手な動きが上達する、という意味である。


手打ちを毎回繰り返していたら、手打ちの練習をしていることになるし、サーブミスを連発すれば「ミスショット」が上達している、ということになるのである。


惰眠をむさぼれば、惰眠をむさぼるのがうまくなり、一日中イライラしていたら、イライラの達人になるのである。


「これは練習だよ」と自分で思おうと思うまいと、やったことは練習になるのである。




潜在意識、または無意識になったことのみがとっさに出るのである。意識的な練習を限りなく繰り返して潜在意識に入れ、無意識化させる、というのが筆者がかつて習った方法である。


今試みているのは「統一した体というのはこんなんだよ、というのは適宜体験してもらった上で、限りなく体を整え、力みを徹底して取り去り、力まかせや無理な動きを無意識に避けたくなるところまで持ち込んで、後はとっさに自然に出る動きにまかせちゃえ!という方法である。

意識的な動作を無意識になるレベルまで繰り返すのではなく、意識的な動作ができなくなるぐらい体そのものの感覚を信頼してまかせられる条件を作ろうという方法である。

負荷をかける一辺倒の練習から、整えて動くという練習が出たっていいじゃない、そろそろ。


うまくいかないことを繰り返してうまくなろう、というのではなく、「こうやってもうまくいくね、こうやってもうまくいくね」「なんでかよくわからないけれど、やっぱりうまくいくね」という形で練習の量と密度が上がっていくことを念願している。



という理論(仮説)に基づき、K高校男子テニス部の練習は、推定いつもの20分の一ぐらいしか球を打っていないものと思われる。だってトス打ちとサーブだけでラリーはやっていないんだもん。(8日時点)


それで、三人一組で打っているのは一人だけで、後の二人は手足をさすったりさすられたり。今、日本で最もさすっているのはK高校テニス部である。(というかK高校テニス部だけであるので現時点では誰も感心しないであろう)


しかし、5年後、10年後には日本中の体育界がさすり、故障を激減させ、体をいじめるスポーツから、体を整え、感覚を磨き、感性がよくなり、五感が鋭くなり、集中力がついて、心底楽しそうにそのスポーツを楽しみ、でも結果として上達する、というありようが当たり前になっていてほしいと強く思うのである。


2年のO君は、過去の講習で「手足のさすりタッチによるチューニング」をイメージで実行すると動きが軽くなる!と悟り、ふだんからやっているそうである。(偉い!その通り。みんなもやっているかい)


そういう土台があるからか、彼はサーブ練習ではことごとく一打目でベストショットを決めた。


サーブ練習の順番が回ってくるたびに、一回しか打てなかった。


現時点では、それでいいのである。整えた後、ただ打ったらうまくいっちゃった。そうやって体への、無意識への信頼感を醸成していくのである。


「私の体は頭がいい」(PS 内田老師のご著書のタイトルより拝借)を実感していこうというのである。

レベルが上がるにつれて、ベストショットを連発している間は続け、しかし乗っている間にすぱっとやめちゃう、という方向に徐々にシフトしていけばいいと思う。(意見聞かせてね)