678話 お箸と私

【昨日の読書の話と同じで、やはり能動的に「食べる」という形式になるほど、本当のうまさが分かるものであるのだ、と筆者は思うのである。】

と昨日書いた。

ところで、古伝空手の宇城憲治先生が、「型の重要性」また「型により得られるものの効果」の一例として、「正しくお箸が持つようにさせれば、子どもの偏食は正される」ということを述べておられる。


この「お箸の持ち方と偏食の指摘」というのは、昨日の「食論」から見たら、実に目からうろこの納得の指摘である。


筆者親子は、慣れないナイフとフォークで、美味しいトンカツをおいしくなく食べる羽目に陥った。箸に変えたら、とたんに美味しくなった。理由としては、美味しく味わえる速度や、角度や、量などを「体の欲求に的確に対応できるから」だと仮説を立てている。(だって体感としてはその通りなんだもん)


正しい箸使いができると、体の要求に応じた食べ方ができるようになる。そのものの「うまさ」が分かるようになる。スコップで穴でも埋めるように、スプーンで口に放り込んでもまったくうまくないものが、箸で口に運べばうまくなるものは多いということは容易に想像がつく。

ピンセットで食べる「いかの塩から」

ナイフとフォークで食べる刺身の盛り合わせ。

先割れスプーンで食す、特上の生ウニ。

竹串で食うさけ茶漬け。

う〜、食いたかね〜よ。


箸が正しく使えたら、ある時はフォークのごとく、ある時はスプーンのごとく、またある時は本来の箸として自由自在に食事ができる。つまり「体の欲求するとおりに食える」


最近は、K高校テニス部で「ラケットと腕をすりすりして一体化する」というのをやっているけれど、実はあればお箸にも使えるんですよ、というのをためさんに伝授したところ、生を受けて30数年、エックス箸が治らなかったのが数十秒の「ニコニコ正しいお箸の持ち方すりすり」で瞬時に矯正されてしまった。


ゆきこさんが体調を崩しているため、本格的に主婦をしているためさんであるが、箸の持ち方が変わった以後、食卓には「きんぴらゴボウ」を筆頭に「昭和30年代までの日本の食卓」に登るようなものが続々を作りたくなってしまった、という。食の好みをかえるのである。


という体験をためさんから(居酒屋で)熱弁をふるわれたI福さんは、一人息子のがくちゃんにすりすりお箸をかけてみたところ、なんと3歳児でさえ正しいお箸の持ち方を体得した、という。(註 完全にマスターするには繰り返しは必要ですけどね)


ちなみに、ペンを握ってすりすりすると、字が綺麗になるという効果も確認済みである。



小学校で本気で試してもらえれば、偏食や姿勢の悪さの「自然な矯正」(無理矢理じゃないってことね)効果が表れるはずである。

旧友で、今、小学校の教員をやっている数人の顔を思い受けベル筆者であった。