688話 古民家改装建て増し理論(生徒諸君5)

体の動かし方、使い方、そのための整え方などを研究している筆者である。


昨日も、すずな(とひろき)の頭をどつきながら研究を深めていたのであるが、このように最近の視点は、もっぱら「人間以前のからだ」である。(ひろきは人間以前ではない。念のため)


たとえば、スポーツなどでも「グリップをどうする」とか「ヘッドを効かせて」とか「手首を返してボールに回転をかける」とか、そういう「人間にしかできない身体操作」の部分に対してのスポーツの「技術的アドバイス」を良く耳にする。


スポーツの大半は人間以外の動物には無理な種目が多い。道具を持ったり、手でボールを扱ったりするから、四足歩行の動物たちには機能上難しい。手を使わないサッカーならできそうな気もしないでもないが、それも「後ろ足限定」ということにすると、やはり不可能になりそうである。


したがって、動物の動きがスポーツの参考になる、と本気で発言しているスポーツ関係者の声はあまり聞かない。だって人間よりも下手なんだから。


動物から進化して、今の人間がある、という言い方が一般的であるから、何か動物よりも人間があらゆる面で優れているという印象を振りまくが果たしてそうであろうか。動物の骨格や筋肉とまったく違う人間の骨格と筋肉が独自に発達して、それが大半であるような印象を持っているが果たしてそうであろうか。


筆者は「古民家 建て増し、改装論」を唱えるものである。


江戸時代の古民家が建っている(これが動物ね)。横に最新の住宅が建っている(これが人間ね)


二つの住宅は全然違うもの思っているが、その最新の住宅の屋根を剥がすと古い瓦屋根が出てきて、壁板を剥がしたら、そこにはわらをすき込んだ土壁があって、柱や「はり」は江戸時代の古民家のままというのが人間の骨格や筋肉であろうと見ている。


人間の骨格や筋肉の、それも立つとか歩くとか走るとかいう小細工の関係ない主要な運動を支えている骨格や筋肉は、その大半が前の世代(ほ乳類やは虫類などの)借り物である。人間だけのオリジナルの筋肉というのは、ちょっとしかない。


であるならば、スポーツや武術などでより優れたパフォーマンスを発揮しようという際には、全体の中では実は少数派である「そこを使っている」と自覚しやすい「人間になってから登場したり発達した筋肉」よりも、多数派にもかかわらず、あまりに主要な部分を占めているために、その存在すらもあたりまえすぎて自覚しにくい人間以前のご先祖様から受けついている根幹的で主要な骨格や筋肉を生かす、という方が効率が良く、また故障などとも縁遠いと考えられる。


そういう深淵な洞察と、スポーツの練習によって故障しがちな多くの方々、特に前途ある若者の将来を案じる崇高な使命感のもとに、筆者は時には飼い犬すずちゃんの頭をどついたりしているのである。