697話 芝居ですか

大学の同級生のY木君より、次回彼が企画演出製作する演劇の公演の、「役者の訓練メソッド」をそちらの専門分野でできまへんか、やれまっしゃろ、やりなはれ、という電話が入る。


彼は大学卒業後に、国立文楽劇場やら松竹のスタッフ養成所やら劇団四季やらその他いろいろやらを渡り歩き体験と見聞を広め演劇畑の肥やしとし、今は関西文学の副編集長をしながら、演劇にからむ授業や講座や研修などを大学や高校や企業などで行っている今日このごろらしい。


彼とは大学時代に一緒になってミニコミ誌を創刊した盟友である。


ともに関西出身、吉本新喜劇松竹新喜劇を見て育ち、「かに道楽」や「道頓堀の出雲屋や(ウナギね)」さらに「どうとんへ行こうよ ♪」や「有馬兵衛の向陽閣へ♪」などの関西限定CMを子守歌に育った世代であり、地方大学の地味で沈滞気味の雰囲気を思い上がって活性化するんだと意気込み、雑誌発売に合わせてFM放送を学内に流し、学部棟からデパートで使用するものと同じ大きさの「本日発売」の大たれまくを下げるなどの営業戦力で、3000人強の学生数の大学で、1000部以上を売りさばくという金字塔(?)を立てた最強(または最凶または酔狂)コンビであった(かな)。


で、彼は演劇の訓練メソッドというものは、今までの経験から人に教えることのできるレベルで会得体得はしている。が、残念ながらそれは輸入もの舶来ものであって、日本人の演劇訓練メソッドとしては最適ではなかろう、もっと良いものがあろうに違いない、と模索しているのである。


芝居というのは、完璧に覚えたセリフを感情をたっぷり入れて、上手に発してやりとりするというものという一般的なイメージがあるが、さにあらず。生きた人間が発した言葉ではなければ、芝居の相手役にも届かないし、観客にも届かない。どう演じるかというのではなく、その役になりきれるメソッドがより正しいのであろう、というようなことらしい。


「ほいほい、それでしたら旦那、ええのんがおまっせ ひひひひ」とお返事する。


何回か稽古が進んだ段階で、彼はファミレスで稽古する予定だという。その日は、集まってから稽古するのではなく、自宅を出たときから役になってもらうのだ!という。そしてその登場人物として電車に乗り、お店に入り、その登場人物の人格が注文するものを頼んで、その登場人物の話す内容で会話をする、ということなんだそうだ。こういうのを普通稽古とは言わないだろうが、おもしろい試みである。


役になりきっていたら、極端な話セリフを忘れたって平気だ、とY木氏は言う。


その状況でその役が言いそうなことをちゃんと言っていたら、芝居は成立するということか。


「要するに君がやりたいのは、攻防の手順が決まった殺陣のような芝居ではなくって、いにしえの武術の達人のごとく、千変万化相手が一切の決めごとなく、どのように攻撃をしてきても、瞬時に自然に流れるように対応して見事に切り返すという、そういう芝居がやりたいわけであるのだね」


ということで、「いっちょかみ」することになった筆者なのであった。