710話 チューニング

今日は、Y木氏の9月実験的演劇公演の顔合わせ。


企画書によると筆者は「ボディ・チューニング」担当という肩書きである。製作、照明、宣伝美術、ボディチューニング・・・などと並ぶのである。


Y木氏の言う「アーチストは楽器である。ならばその楽器のチューニングをして鳴りを、響きをよりよきものにしてから始めるのはしごく当たり前である。西洋演劇であれば、そこにアレキサンダーテクニックが該当する場合が多いが、それの日本版を創りなはれ」という指令であるので、肩書きが「チューニング」というのは的を得ているのである。


全体の説明の後、テーブルのあっちの方では製作関係の打ち合わせが活発化しているので、筆者にとってかかわりの強い「4人の出演者の方々」に、筆者の体観(からだ かん)や実際の調整などをご披露する。


みなみなさま、病気をしていないときは健康だ、と思われているようだけれども、実際には四角いタイヤ、右にしか曲がらないハンドル、すりガラスのフロントガラス、絵が描いてあって用をなさないバックミラー、正面を向いていない座席、音のでないクラクション、あさってを向いたヘッドライトのような体で生活をされている。それで病気でないから「こんなもんだ」と思われているが、みなみなさまのそれらのひずんだ要素を適正に近づけるだけで、もっともっと楽で自然で能力がだせるんでっせ、というような意味のことを話した(かったけど、別の話をした)


たとえば、まともに音を聞いているという耳の穴を、適宜広げるというだけで、音が飛び込むように聞こえてきて、とたんに表現が軟らかくなり、明るくなる、というような体験をしていただく。


芝居の場合に、発声練習には莫大な時間を費やすが、聞き取り能力アップには時間が割かれない(ってそんな方法が存在しないからだけど)しかるに、目をつぶって走れというのが無理なように、聞いていると思っている耳が、実は聞こえていないという事実がある。相手の言うことが聞こえているけれども聞こえていないから、こちらが話すことが出てこない。目を開けるだけで歩くのが容易であるのと同じである。


緊張していた若手のお二人、耳の広げだけでいきなり明るくなるのである。自然にやわらかい(^-^)が出るのである。


まあ、本日は自己紹介の意味もあって「こんなこともできるし」「あんなこともできる」というのをご披露したが、5月ごろから実際に始まる際には、よくばらず、対話を重視し、できるだけ根本的なことを繰り返してやろうと思っている。劇的に身体と意識が変わった!なんてところは狙わず、まずは確実に「心も軽く、身も軽い」状態にできれば、と思っている。