715話 逆取材
午前中の予定がことごとくキャンセルになり、久方ぶりの一日まる空き、正真正銘のお休みになる。
例によって和歌山城まですずなを連れて散歩。
「Y新聞 ○田○夫」というようなでっかい名札を付けた男女がうろうろしている。観光地であり、市民の憩いの場であるお城には、その「リクルートスーツ姿」は違和感をひときわ放ち、目立つ。
すずなのうんこを「わんちゃんの糞専用ゴミ箱」に捨てていると、うち一人の女性が
「ちょっとお話を聞かせて下さいませんか」
てな感じでやってくる。
筆者は基本的にマスコミにたいして意地悪である。その世の中における影響力と必要性と重要性は十分に評価した上で、でもあんまり好きじゃない、というスタンスである。
その理由として一つ思い当たるのは、取材という仕入れに対しての「対価」を支払っていないように思える、というのが思い当たる。
しかし、仕入れにあたるものに対して、対価を支払っていないように思えるものには、他にもなくはない。農林漁業なんていうのも、その基本的な形態の上では、産物の製造そのものは自然がやってくれている。(だけじゃなくってとっても手間をかかるとは思うけれども、ここでは基本的な構造のお話)しかしながら、一方では、漁師さんやお百姓さんというのは、その自然に対する感謝や畏怖、敬意というものは、これまた基本的にたっぷりと持っていて釣り合っているとも感じるのである。
だからそれらの職業に従事する方々に「海や山に仕入れのお金を払ってないやんけ」と腹は立たない。しかし、マスコミの方々の取材源に対する意識に、それらに準ずる「感謝」「畏怖」「敬意」というものを感じることはきわめて少ない。
あれば対応は変わってこようと思う。
過去、新聞社などの方の街かど取材の第一声は、おおむね「ちょっといいですか」「ちょっとお話聞かせていただいていいですか」であって、おおむねの枕詞に「○●新聞ですが」が付く、というものであった。
筆者は、この「ちょっと」と「いいですか」の間を省略しないでちゃんと話せと主張するものである。
過去、街が度取材で、取材の目的、掲載記事の可能性、使われ方などが簡潔明瞭に説明された記憶はない。
取材って人にものを借りるようなものでしょ。人のところにきて、いきなり「これ、借りてもいい?」というやつはいないか少ない。「何にも言わずに貸してくれ」という場合だってあるけれども、その場合は「何にも言わずに貸してくれ」と言うことで「言うに言えない理由がある」ということを言っているのだから、言っていることになる。
「いついつ掲載予定の○○という特集の取材として市民の方の声を取材しています。○●○としてのご意見をお聞かせ頂ければと思うのですが」
とかがあれば対応は変わる。
だって、相手が何のために使うのか分からないものを、無条件では出さないでしょう、普通。ものの貸し借りにしたって「○○に使おうと思ったらさ、急に故障しちゃって、買い直す時間もないし、何とか貸してもらえないかなあ」
というような依頼があってこそ
「そら困りもんやね。いいで、いいで、どうぞ使って」
というこちらの心情が釣り合うのである。
取材だって、「ちょっと話を聞かせてよ」というその先に何があるのか分からないものに、無条件で答える気にはならない。
「ありがとうございました。ご意見を使用させていただくかどうか、いつになるかは分かりませんが、掲載が決まりましたら一報さしあげましょうか」なんてのがあったら、さらにいい。
というような話はY下さんには一切しなかった。
一方的に取材を受ける側になるから不快なのである。ということは、こちらだって取材をすればいいのである。そうすると、方や1000万部のY新聞対一日アクセス150の拙ブログという差はあるが、筆者の中ではバランスが取れるのである。
などとごたくを述べているが、取材してきたのが、なんとも「ひたむき」「一生懸命」「けなげ」「初々しい」という印象の方だったので、すっかり話をする気になっていたのであった。
つまり前記の取材嫌いの理由というのは、実はうっとうしそうな記者がやってきた場合のにべもなくはねつける際の理由というわけで、好印象の方が取材に来られた場合には、それらの「断る理由」というのは瞬時に消滅する、ということが分かった。
ということで逆取材開始。