722話 お〜ら 1

H松さんが「オーラカメラ」なるものを手に入れたので、


「センセ、色々と実験しましょう」


ということで午後の空いた時間に出向く。


撮影後に、基本オーラの色から大きさ、チャクラのそれぞれのエネルギーの活性度だとか、さまざまな角度での分析というものが、ちゃんとプリントアウトされて頂けるという仕組みである。


筆者、オーラというものは分からない。見えない。氣は感じるし、それを使った体の調整というものはできるので、そういう意味では氣は分かる。しかし、筆者以外の人の言う「氣」と筆者の扱っている氣が同じかというと、それもよくは分からない。


霊的なものを感じるとか、お告げをしゃべるとか、前世が分かるというのも分からない。


しかしながら、分からないものは「ない」という立場ではない。


人には見えないけれども、その人には分かる、というものを取り扱う人の中には、本当に何らかのメッセージなりエネルギーを感じている人と、妄想で作っちゃっている人と、感じたり分かったりしている振りをしているだけの人の3パターンがあるんだろうなあ、というのは分かる。


筆者の立場としては、「振りをしている人にお金を巻き上げられる」パターンと、「妄想で作っちゃっている人に振り回される」というパターンは避けたい。


「筆者には分からないものが分かっている人」に対しては、筆者にとってプラスになるだろう情報のみを頂きます、というスタンスである。


さてH松さんの場合は、それらを心配する必要がない。能力はオーラカメラなるものにあるのであって、H松さんにあるわけではない。H松さんは「どのようにこの機械を使うことが人にとって有効であり、またその限界ないし可能性というものを探ろう」というスタンスである。


「このカメラであなたの全てが分かります。来なさい!」


なんていうスタンスではまったくない。


この機械が、その人の全体、または各部分(チャクラという部分に対応するものね。ちなみに筆者はヨガの先生であるが、チャクラに関してもいまいちよく分からない)の何らかのエネルギー状態を判定する能力があるとすれば、整体によってその人のなんらかの状況が改善されるならば、それは再度撮影した結果に反映されるはずなので、そういうことを確かめてみましょうよ、というお誘いである。


かくなるスタンスの前には筆者は、「振りをしている人にお金を巻き上げられる」パターンも、「妄想で作っちゃっている人に振り回される」というパターンにも陥る可能性は皆無である。


何事も経験である。ということで続きは明日。