738話 赤ちゃん オーラ 椰子のみドリンク

今日は「赤ちゃんの体を取り戻す 講座」である。

この講座初体験の方が半数以上で、また楽しい講習会になった。孫とおばあちゃん(孫の方がおばあちゃんを元気にしたいと連れてきた)、母子(お母さんと娘ペア)、子どもの姿勢なんかが気になると来たお母さんなどなど。

自分自身も元気に快適にしたいし、いいものだから、家族にも・・・という展開はとても嬉しい。


優勝を決めたK高校に激励に行こうとして、電車に乗ったら準急だったのでK高校前を通り過ぎてしまった・・・が、電車の中からテニスコートを見たら誰もいなかったので、それはそれでよし。17日か18日の6時前後に顔だけ見に行きますね。


とんぼ返りして梅田に本を買いに行き、ついでにH松さんがオープンした「オーラを撮影するお店」に開店祝いに顔を出す。


道中、養老孟司さんの『

自分は死なないと思っているヒトへ―知の毒 (だいわ文庫)

自分は死なないと思っているヒトへ―知の毒 (だいわ文庫)

 知の毒』(大和文庫)を読む。


世の中の流れ(世界かな)を「都市化」という切り口で読み解いている。

この場合の「都市化」というのは「人間の意識で作り出したもの」という意味で、対極に「自然」がある。つまり自然というのは「人間の意識ではどうにもできないもの」ということになる。


ラオスの山の中で穴に落ちてすりむいても、自分のうかつさを呪うだけであるが

P89
「これが銀座の真ん中だったら、誰がこんな穴を掘ったんだと私は怒るわけです。都会に住んでいる限り、ものごとは人のせいにできるのです 引用lここまで


だから、今何か起こったらメディアでは「誰の責任なんだ!」という犯人探しが始まります。もちろん、とんどもない不誠実な手抜きによって肉親の生命や財産に多大な損害をこうむったりした方が、その手抜きを放置した責任者に対して憤るというのは、自然な感情ですから、それまで否定するわけではありません。

ただし、筆者が共感するのは、都市化に毒されていると、「世の中は説明のつくものでできている」と勘違いしてしまう、ということです。もしくは「人が何かをしなければ、その状態は続く」と勘違いしてしまうとうことです。



っと、養老先生の「です、ます調」の文章を引用したら、筆者の文体まで「です、ます」に変化した。

「である」で書いている筆者と、「です、ます」で書いている筆者は、外から見たら同じ筆者であるが「意識の質」としては明らかに別人である。意識してですますに切り替えたのではなく、引用に続く「だから」の時点では、いつもの筆者の文体に切り替えようと思っていたのである。


しかし、最初から「ですます」でいくつもりなら、「だから」ではなく「ですから」で文章を始めるはずである。養老先生ほどのレベルの方が「です、ます」で書かれている後に続いて、筆者レベルのものが「である」などと賢そうな文体を使うことの居心地の悪さが無意識に文体を切り替えさせたものと思える。


昨日も今日もずっと一続きの同じ自分(それが『意識 または自我意識』のように思っているけれども、引用の一文にさえ影響を受けて豹変するのである。「自分の考え」なんてその程度で右往左往するのである。


夜、カンボジアン@E角さんからプレゼントされた「謎の椰子のみドリンク」を開ける。

「ほんのりと青臭い砂糖水」と言った味わいである。おいしいとかまずいとかの端的な表現は避けるが、家族5人で分け、ついでに下のおじいちゃんにも一口持っていって、半分まで減った「謎のドリンク」は、それ以後なかなか減らなかった、という事実はあった。


でも、このドリンク一びんで、家族が3日盛り上がったのである。ありがとうテラルネのみなさん。

ちなにジャンピングSちゃん、これを読んでいたら、足のその後を、筆者のメールにご連絡頂きたい。