742話 インターネットカフェで寝て考える

・・・(昨日の内容)なんて書いたけれども、新大阪〜神戸〜新大阪 と移動しつつ、いつもよりも3割り増しぐらいの人数を調整した本日(16日)は、いささか疲れた。夜の部の30分空いた時間には思わずよこになって寝てしまった。


スタミナ切れか・・・。すりすり効果で、疲れ知らずの短時間睡眠でも絶好調を維持していたと思っていたが、それにもかげりが見えてきたのかな・・・、なんで今日はこんなに眠たいんだろうと思っていたが、よく考えたら昨夜2時間半しか寝ていなかったことを思い出した。


なんだ、2時間半睡眠の6時起床で夜までまったく元気だったんだ。


しかし、全ての方を送り出して片づけなどするとけっこういい時間。今から和歌山に帰っても11時半。雨も降ってきたし、そのまま道場に泊まることにする。


こういう時のために、畳敷きの道場には寝袋と毛布が常備してある・・・あら、ない。



鬼っ子合宿に持っていって、そのまま自宅に持ち帰ったままだ。


そこで、徒歩五分のインターネットカフェで泊まることにする。貸し出し毛布を広げると、あれ、これって膝掛けの大きさしかないじゃない。やむなく、下半身に一枚、上半身に一枚の二枚で寝る。


そうか、じゃあ今度来るときは、道場から寝袋か毛布を持参すれば万全だ!うんうん、快適なインターネットカフェ睡眠ライフ。他の方々が上半身・下半身セパレーツ・寸詰まりの毛布で寒い思いをするところで、筆者だけは寝袋か毛布と優越感にくるまれて、ぬくぬくと眠るのだ、ひひひひ、備えあれば憂いなし、と、・・・・考えてその思いつきに満足。・・・しばらくたってからはたと気づいた。


寝袋と毛布を以前のように道場に置いたら、わざわざインターネットカフェに行く必要はないんだった。そのまま道場で寝ればいいだけだった。


はたと気づかなければ、筆者は「インターネットカフェに自分だけ快適にぬくぬくと眠れる様を空想して、幸せに浸っていたことであろう。


昨日「恵まれた幸せな私」を書いた。


しかし、インターネットカフェで、他人様よりもぬくぬくと眠ることを空想してそれだけで幸せな気分になり、ぬくぬくと寝るための寝袋の準備をしたら、もうインターネットカフェに行く必然性がなくなることに気づかない自分というのは、(つまり、そのぬくぬくはわざわざ優越感を得るためだけのためにインターネットカフェに行かなければ味わえない)もしかしたら不幸な境遇に対しての感受性が異常に低いだけなのかもしれない。

【不幸な境遇に対しての感受性が異常に低い】というようなややこしい表現をせず、日常語で表現するなら

「俺ってもしかしたら単にあほなだけちゃうん」


これは多角的に検討してみる価値がありそうである。