749話 明日に欠ける橋 2

さて、昨年9月29日のブログの中では、名前が伏せられていた「世界的?かもしれない有名人」というのは、その後ちらほらと名前が出ていたようなのでばらしてしまうと、日本が誇るアニメ界の巨匠、宮崎駿氏である。


スタジオジブリの社員旅行で鞆の浦に来た宮崎さんは、いたく鞆の浦が気に入って、個人的に長期鞆の浦に滞在し、龍馬ゆかりの宿再生計画にも首を突っ込んだんだそうだ。


日本に龍馬ゆかりの地は数多くある。しかし、高知市の生家の跡だって石碑だけ、京都の受難の地も石碑だけ。寺田屋は建物はそのままであるけれども、回りは当時の面影を残すってわけにはいかない。


ところが、鞆の浦ってところは、これはいけば分かるが、町全体が「昔の面影」なんである。しかし、それは開発やら発展には取り残され、都会化できなかっただけとも言えるのであるが、しかし、それがけがの功名とでもいうのか、ほんとにぎりぎりの線で、昔の日本ってこんなんだったよなあ、というのが町全体から香ってくるのである。


町並みの保全、今風の建物の増加を控える、というようなことをやったならば、それはそれはものすごい文化遺産になりそうなところなのである。


港に行けば、岸壁も灯台御影石なんでっせ。石、いし、自然石。コンクリートじゃないの。


おおおお、まさしくこれは、龍馬が行き来した瀬戸内じゃあああ!という感じなのである。


その港を埋め立てて(ぜんぶじゃないけど)橋をかけちゃおうぜ、というのにはあまりにもったいない。


というようなことが分かるのが、下記のホームページ

「鞆 街作り工房」

http://www.vesta.dti.ne.jp/~npo-tomo/top/top.html

ところで、昨年鞆の浦をご案内頂いた際、筆者はもう舞い上がって浮かれていただけなのであるが、「町残しのスペシャリスト ためさん」は平和建設の社長さんから、以下のようなコメントをお伺いしていたそうである。


「仮に橋が架けられても、しかし、元気と明るさを失わず、この場所に生きる喜びと誇りを持てるようにしないといけないと思って、龍馬の宿や町家再生を応援しているんです。反対運動やって、それで橋ができちゃって、それで元気無くして自暴自棄になるのが一番良くないですからね」


しぶい!


ということで、ためさん、それから、インスパイア大澤さん(って車の運転ができるし、宝塚に住んでるから中国道近いしって勝手なお願いですが)急な話ではありますが、一泊か日帰りの鞆の浦弾丸ツアーやりませんか。


平和建設の社長のお話をお伺いするだけでも、鞆の浦をどうこうするだけでなくって、自分の住む町や国を考えるのに、とってもいい経験になると思いますし。そんでもって、笠岡の中村酋長にもお会いできるし。


それでもって、あちらのNPOの方々や平和建設の方々や、龍馬の宿の大工さんなんかに、ニコニコやらせてもらって、労をねぎらうなんてのはいかがでしょう?


って、先方の都合はまだ全然聞いていないんですけど。


ためさんが中国から帰ってから後にはなるでしょうけど。いかが?