757話 六ツ子の魂 四十六まで 5

浄土真宗の重要教典である「正信偈」は、釈尊(おしゃかさま)の説かれた「お経」ではなく、親鸞上人の作である。(とホームページに書いてあった)


筆者は浄土真宗門徒だという自覚はまったくないのであるが、父の亡くなった後、ここ数年繰り返された回忌の際に、「正信偈」に親しんだ?のである。


正信偈」では、7文字(七音)の教えが、120段繰り返される。


法事の際のご住職の解説によると、門徒が集まって唱和できるように、微妙な上げ下げの「節(ふし)」がついている。

きーみょーむーりょーじょーにょーらい

なーもーふーかーしーぎーこー

ほーぞーぼーさつ いん にー じー

ざい ぜー じー ざい おう ぶつ しょ


と首尾一貫して7音のひたすら繰り返しである。


法事の際には、教本が配布され、親戚一同も唱和が求められる。


そんな節なんてまったくしらないのであるが、【タンタカ タンタカ ツンツンツン】という七音のリズムというのは体になじむし、微妙な上げ下げというのも一定の期間でリズミカルに繰り返されるので、だいたい分かるのである。


リズムと節にのって「次は上げてほしいな」と思うと上がってくれるし、次下がりたいなと感じるとちゃんとそうなっている。


この【7音のリズムと基本メロディーにのって「次は上げてほしいな」と思うと上がってくれるし、次下がりたいなと感じるとちゃんとそうなっている】感じが、まさしく「遠い世界に」そのものである。



と  お   い  せ  か  い  に〜
きーみょーむーりょーじょーにょーらい

た び に で よ う か〜
なーもーふーかーしーぎーこー

なのである。


ここまで連想してしまうと、実は「遠い世界」というのは「西方浄土」のことである、という仮説まで浮かんでくる。


♪ だけど、僕たち 若者がいる〜

♪ だけど、僕たち、みほとけがいる〜

と歌いたかったのかな、などと妄想が湧く。


と、これはさすがに突飛であり、こじつけであり、根拠がないので、「西岡たかし仏教説」は却下。

25日の読売新聞で、西岡氏は、

「それまで輸入もののコピーだったカレッジフォークに、訳詞をつけたり、オリジナルでやり出し、同世代に新鮮に迎えられた」ということを述べておられる。

さらに

「僕らの歌は、今の音楽産業のように【商品】としてではなく、部屋で友達に聴かせたり、集会所や教会で言いたいことを細々と歌ったり、自然発生的に生まれた。流行とは別のところで、マイペースで細く長くを目指したからこそ、今がある」


大衆に向かって、メッセージを伝えたい、届けたい。そして少しでも世の中を変えたい!そういう思いで作られたということなのである。


それでは、「正信偈」が成立した数百年前の日本に思いめぐらせてみれば、布教に情熱を燃やす親鸞上人やら、蓮如上人というものの(やりだした時はきっと若者ですよ)思いも「民衆に向かって、(仏の)メッセージを伝えたい、届けたい。そして少しでも世の中を変えたい(救いたい)」というもので、実は創生期のフォークシンガーと同じようなものだったかもしれない。(グレードやら人格やらはこの際触れないで、現象としての類似性だけね)


音楽といっても、今のように街中にあふれている訳でもなく、娯楽も少なく、そんな中で「死んだ後の極楽」を説くグループの集いに参加して、みんなでメロディーに乗って唱和した時の気分というものは、一昨日分にコメントを寄せて頂いた「ジョゼフィーヌ」さんが、80年代の礼文島ユースで体験したものと、とても似ていたかも知れない。


いまでこそ「抹香臭い」に追いやられた?、「正信偈」であるが、その昔は、実は肩を君でフォークソングを歌う青春そのもののような時代があったのかもしれないな、と思う筆者であった。