758話 六ツ子の魂 46まで 完結編

ところで、この「正信偈」であるが、実は、筆者はその冒頭の部分だけであるが、齢六歳にしてそらんじていた、という過去がある。(へんなガキでしょ)


筆者のおじさんが、四十代の若さで脳腫瘍であっけなく往ってしまったということがあった。当時筆者は幼稚園。


娘が一人いたのだが(筆者からすれば「いとこ」ね)、大学生だったか働いていたかという年齢で昼間はいないし、おばさんは一人になって寂しくってしかたない。


そこで、妹である筆者の母に対して、筆者の貸し出し要請が出された。


幼稚園児の筆者は、そこでおそらく一週間前後預けられたようである。アイスキャンディを買いに行った記憶とセットになっているから、幼稚園の夏休みだったのだろう。


部屋には無きおじさんの遺骨が安置してあって、簡単な白布の祭壇。そこの浄土真宗のお経の和綴じの本が置いてあった。


手にとって坊さんの真似をしていると


「あのなあ、ひろちゃん、お経を唱えてくれるんか。お経を唱えるとなあ、おじさんのところに、すうっと天国へ行けるロープが下りてくるんやで。ありがとうなあ」


とおばさんが言う。


この漢字の横にあるカタカナのふりがなの呪文みたいなのを読んだら、おじさんが天国に行けるのかと理解した筆者は、毎日せっせとお骨を前にして唱えていたのである。そのおりに最初の2〜3ページを暗記したのであった。


しかし、幼稚園児が、おじさんの成仏を願って、毎日仏前で読経するという景色は、想像するとけっこううるうる来る。筆者はなんとかわいい子どもだったんだろう。


ちなみに「読経 天国のロープ論」を教えてくれたおばさんは、その後別の新興宗教に入信し、そこのご本尊?やら経文『以外』を拝んだり唱えたりすると「バチがあたるよ、たたりがあるよ、病気になるよ」と教えてくれた。


とにかく、幼稚園児の筆者がお経に親しんでいたちょうどそのころ、リアルタイムで「遠い世界に」が街に流れていたのである。


筆者の脳細胞のどこかで、その二つが融合?混線して今に至っているのかもしれない。