771話 体感した人と話すのは楽しい
O澤さん、いっぱいコメントありがとうございます。
でも、その人が体験したことのない体感を、その人に理解できるように説明する、というのはなかなか難しいですよ。無理と言った方がいいかもしれない。
さて、以下は、Y氏のプロデュース公演の「追憶ノ青いバラ」に出演、現在当道場にでチューニングレッスン中のMさんから寄せられた、コラム?的メールである。
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《優れた俳優と共演すると、
自分自身の新たな一面を発見する事がある。》
俳優の演技は、一人では、成立しません。
俳優が何人か登場してる舞台の場合、
観客は一人の俳優だけをみていません。
相手役の俳優も、見ます。
実は、観客は登場している俳優たちの《関係性》を見ています。
「この人物は、気が弱そうだ」とか、
「少し追い詰められてるな」とか。
たとえば観客がある俳優Aに対して
「この場を明るくする人なんだ」と印象を受けた場合、
その俳優A自身の演技よりも、
相手役の俳優が、俳優Aに対して
「この人は、この場を明るくする人だ」と認める演技をするから、
観客は、俳優Aを「この場を明るくする人だ」と思うのです。
俳優は、自分自身の役作りは、勿論ですが、
相手役の役作りもする必要があります。
よくテレビドラマでも、いきなり新人を主役にするなどが、
ありますが、脇には実に良い役者さんをあててます。
優れた俳優と共演すると、自分自身の新たな一面を発見する事があります。
それは、優れた俳優は、
共演者が《表現しようとも表現しきれていない微細なサイン》を読み取り、
そこに光をあて、拡大し、より上質な「受けの演技」でもって共演者にボールを投げ返すからです。
共演者は、自分が表現したかったイメージ以上の優れた演技のボールが返ってくると、
それを素直に投げ返すだけで良いのです。
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このエッセイのようなメールにはタイトルをつけてあって、それが
『俳優として、整体をうけてて感じたこと』
とある。
タイトルを見る限りでは『私の演技論』ではないのである。『整体をうけてて感じたこと』というタイトルの文章としては、読者のみなさまにはいくぶんの違和感があるかもしれない。しかしながら、Mさんと「整体」という名の「共同作業」を行った筆者には、このタイトルでこういう内容が出てくるというのは、十分に理解できるし、とても嬉しいのである。
Mさんは、この一月半ほど、週一のペースで体の調整を受けつつ、セルフコンディショニングの『自宅学習?練習?』もきっちりとこなした結果
「身体が革命的によくなってきました。」
とおっしゃる。そうやって体が変わって、連動して動きや感じ方が変わった結果、頭に浮かんだことをまとめたら、ああいう中身になったということらしい。
とても素敵な文章であるから、役者以外の人でも読んで何かをくみ取る方も多いのではないだろうか。
筆者は、勝手に「整体論」に読み替えて読んだ。
それは、優れた俳優は、
共演者が《表現しようとも表現しきれていない微細なサイン》を読み取り、
そこに光をあて、拡大し、より上質な「受けの演技」でもって共演者にボールを投げ返すからです。
なんて部分は、筆者の頭に中では下記のに変換されてしまうのだ。
それは、優れた整体施術者は、
クライアントが
《表現しようとも表現しきれていない微細なサイン》を読み取り、
そこに光をあて、拡大し、より上質な「受けの施術」でもって
クライアントにボールを投げ返すからです。