779話 こんなはずじゃ

何か事件があると、取材・報道される切り口というのは「何が原因か」であり「誰の責任か」というオンパレードになる。


それらがあきらかにされないと気持ち悪いから、収まりのいい原因やら責任者をあぶり出そうとする。


こういうスタンスが都市化そのものの現れである。


つまり、あらゆることには理由があり、あるいは責任者がいる、ということを前提にしている。


いろいろな災害を「結局は人災であったと言える」という切り口をマスコミは好むように思え、筆者は過剰に?違和感を感じるように思う。


基本的に「どうにもならないもの」や「こと」は「い〜っぱいある」と思っている。


それに見合った努力や工夫をしていないにもかかわらず、うまくいっていることもまた「い〜っぱいある」と思っている。


訳の分からないこともい〜っぱいあると思っている。


今「こうだ」と通用している常識が実はぜんぜん非常識であった、とひっくり返る可能性があることもい〜っぱいあると思っている。



都市化に毒されると、「なんとなくこういうものだ」という「思いこみ」の世界が強化され、浸透してくる(ように思う)。


なんとなく「平均寿命」までは生きているように思っているけれども、これなんかも「なんとなく根拠なくそうだ」と思っていることの代表である。


その思いこみが進むほど「こんなはずじゃなかった」とか「私だけが何で・・・」という機会が加速度的に増えるように感じる。「理不尽だわ」と感じてしまう場面が増える。


そして、私に苦痛を与えた加害者を見つけるか、私の意のままにならない理由を見つけたくなる。


加害者も理由もない場合だってあるぞ、とはなから思っているのと、そうでないのとでは、ダメージの度合いも回復の早さもずいぶんと違うと思う。


というのは、まさしく私自身の実感であるが、これを「幸せになる成功セミナー」の内容にして開講しても、大好評・大評判にはならないというのは何となく予想できる。