783話 CanCamの「ひとり勝ち」状態 より

筆者が勝手に『ブログ道』の師匠とあおぐ内田樹老師の手による、毎度毎度触発されること大な偉大なるブログ「内田樹の研究室」において【CanCamの「ひとり勝ち」状態】を話のまくらに、「ラブリーな日本・論」を展開されている。


http://blog.tatsuru.com/2007/06/27_1049.php


毎度毎度の「う〜む」の「目から鱗ががりがりと剥がされる」状態の後、筆者の愚脳もそれなりに化学反応を起こしたようである。


紆余曲折右往左往の後、【CanCam】とは縁もゆかりもない【自分が「どういう武術的な技や動き」を稽古したいと思っているのか明瞭に浮き上がる】という考察がチーンとお出ましになった。


以下。


筆者は、武術の達人、名人の世界というのは幼少のおりからあこがれていた世界だし、その後のささやかな武術遍歴の際にはいい師匠にも恵まれたし、稽古することで、人の体を調整するための気づきを得ることもきわめて大なので、週に一回は武術的な動きを稽古するクラスを設けている。


決められたカリキュラムに添って展開するとか、古伝の型を伝統に則って稽古するというのではなく、その時点で最も自分にとって【旬】なものを、ご披露し、参加される方々と粛々と練習する。


打突・切り・突き・投げ・固めと数ある武術技の中から、筆者にとって魅力がある技は、かかった相手が「やられた」という感じを「もたない」技である。


「負けた」とか「投げられた」とか「関節を決められて、痛いからはいつくばった」とか「蹴られて痛くってうずくまった」という技は、稽古対象として浮上しない。(つづく)