793話 話題は変わる

そうそう、ありふれた表現で言えば「謎めいた」というやつの一類型に入るであろう(化粧人類学があるとすればそういう類型に収められるであろう)


反対側に位置するのが「満面の笑顔」であり、これはアコム小野真弓がその最先端としてあげられるであろう。


「謎めいた派」は、カシオ・エクシリムパンテーン、テスティモなどの水川あさみである。


しかし、いくら謎めいた派と言えども、そこはそれ広告であるから、5%程度の「奥の方にかすかに見える笑顔の兆し」のようなものはブレンドされいている。こちら側への肯定的な意識、つながることを容認するシグナルのようなものを皆無にしてしまうと、買ってもらえないからね。


ところで、今回の話は、「無表情という名の異性吸着作戦」を解析しようと書き始めたようなのである。「意図せずにそのようにふるまっているのか、えい、どうじゃい、おい、こら、オウ」という話であったが、ここまで書いて、意識しないで鏡やガラスに写った時の自分の顔の仏頂面、武愛想づら、呆けた顔を思い出した。


その顔というのは、およそ世間様に対してお見せしたいとは一切思わない顔であった。そういう顔をふだんしているなどとは思いもよらない顔であった。


前述の無表情な女性に対して、つながることを容認するシグナルのようなものを皆無にすることで、異性の関心を惹くというのは、なんかずるいぞ、えい、どうじゃい、おい、こら、オウ(@岸和田少年愚連隊 カオルちゃん)ということを書こうとしていたのであるが、自分の仏頂面を思い出したら、その無表情の女性も一切の計算なしで、その無表情なのかもしれないなあ、と思ってしまって先が書けなくなってしまった。


唐突に、メイク論が「意識と無意識の話」に入れ替わるのである。


自分がこうだ!と思っているものと実際のギャップに、初めて聞いたテープレコーダーから聞こえる自分の声、というものがある。


あれを聞いて、我が耳を疑わなかった人はいるのであろうか。冷静に聞けた人がいるであろうか。気持ち悪いと思わなかった人はいるであろうか。


あのギャップをスライドして考えれば、「自分はこういうふうにふるまっている」と思っているものと、実際のギャップに、著しい差があると考える方が適当ではないだろうか。


ゆえに、たとえばスポーツのトレーニングで、自分が思い描いている「今自分が行っているだろう理想の動作(のはず)」と「実際の動作」にも著しいギャップがある、と考えた方がいいのではないだろうか。


自分の頭の中ではイチローの華麗なファームであり、はたから見ると棒を持ったアフリカ奥地の原住民の不思議な踊り、というような場合は多々あるように思う。


そこで、意識の通りに体を動かせるようにする、というのが選手やコーチの標準的な考え方であろうと思うが、無意識な体の動きの方を主役に据えて、その無意識な動きの質が上がるように、自我意識によって余分に作られたこり・こわばりを解除して、できるだけ意識を休ませた状態でプレイする、ということの効果を追求しているのが今の筆者なのだ、と整理ができたところで、今日はこのへんで唐突に終わるのである。