799話 たぶん・・・重要

6日

先週の金曜日に、S川さんのプチ帰国報告勉強会を行った。


S川さんは、10年ばかりアメリカで理学療法を皮切りに非常に多数の調整法・セラピーなどを学んで数年前に帰国した方である。


河野先生の大阪での活動に稽古に来られるようになり、たまに数分話す中身が数ヶ月後大発見につながったりする、とてもありがたい人なのである。


S川さん、先月に渡米し「解剖のセミナー」に参加されたのである。


彼は、先日紹介の武術の日野先生のところでも稽古していて、そういう意味では「機械のような人体のとらえ方」というのはできない。部品の組み合わせでは解析不能な「武術の身体(意識もか?)操作の妙」をたっぷりと肌身にしみこませている人である。


そういう意識の人間が、解剖をして、人体の皮をむいたり、三枚に下ろしたり(ちょっと違うか)、縦横無尽に切り分けた世界をどのように受け取って帰ってきたのか!というのは非常に興味がある。


その話の中身は、あっちへ飛び、こっちへ飛び、非常に楽しいものであった。


一つ印象深いのは、筋肉というのは、関節をまたいでいるバネのようなものにはとうてい「見えなかった」ということである。


筋肉や腱や膜の海の中を骨が泳いでいる(漂っているだったかな)ように感じられた、というのである。


これは重要な示唆である。


少なくとも、筆者にとっては大変重要な示唆である。


どれぐらい重要かというと、一週間たってもその概念が、「今の整体やヨガや武術の身体操作にどう使ったらいいかさっぱり分からない」というぐらいすごい。さっぱりわからないから、一週間後の今日になって書いているのである。


使い方は分からないのに、何か将来大事だよ、というシグナルは感じるのである。こういう情報は重要である。


ここに「溶かしたチョコレート」と「ピーナツ」が用意されているとする。


そこに生まれるのは「ピーナッツ入りチョコ」か「チョココーティング ピーナッツ」のどちらかである。容易に想像がつく。


しかし、ここに米と麹(こうじ)と水と樽(たる)があるとする。すでに知っているから、これらを時期を選んで樽に入れれば、日本酒ができる材料だとは思う。


しかし、知らなかったら、筆者の脳裏には、こられの材料の向こうには日本酒は浮かんでこない。これは農大で醸造を学んだ山上君だって、知らなかったら想像つかないに違いない。発酵によってとてつもなく姿形を変え、働きを価値を変えて再登場するのである。


筆者は、筋肉と骨格をそのように評した「見て実感した」コメントというのを聞いたことがない。


もちろん、野口三十三先生だったか橋本敬三先生だったかも、水の入った皮袋に浮かぶ内臓や骨、という表現をされていたから皆無ではない。


しかし、野口先生も、たぐいまれなる体感感知力でそう表現されたのであって、皮を剥いで中をのぞいた実感ではないと思われる。


今日書こうと思ったのは、筆者が現在行っているタッチング〜イメージング 皮膚〜氣の身体調整を、「正運動 ならびに 正姿勢の自主的な保持 のサポート 」という切り口で整理し直せば、色々とまた発見と整理がつきそうだ!と頭に浮かんだからである。


しかし、そのひらめきと「筋肉はバネやおまへんで論」は、真っ向から対立するとまでは言わないけれど、すっきりと整理するのには足を引っ張る「論」である。


せっかくまとまりつつあるものを、近い将来に壊して撤去するだろうなあという強い予感の上に、だからこそさっさと今建てかけているものを建ててしまおうと考える筆者であった。