802話 演劇塾 2

14日の続き

腕を伸ばす、相手を引っ張るというシンプルな行為でも、体の中に埋まっている設計図通りの振るまいが身に付いている人は皆無である。だから「動きの法則」を意識しただけで、突然強くなり、反する動きをすると力んでカチカチに居着く。


ということは、みなさんそこそこまともに動いているつもりでも、ブレーキレバーを握って走っている自転車のようなもので、ブレーキゴムは焼けこげ、握りしめた指はしびれている。


そういう自覚のないままに練習しているのが、スポーツ・表現芸術などのほとんどではないかと思われる。


そして、それらの間違ったふるまいは、自意識によって支配されている。思考を休めることでゆるみ、こわばりは消え、本来の合理的・合目的的な振るまいが登場する。


ということをご理解いただくために、腕相撲をやったり、腕くるりくるりんをやったり、おんぶが重くなったり軽くなったりを体験していただいたのである。


しかしながら、参加者の反応は「催眠術としか思えない」というものであった。


違いまっせ。


筆者の方が少しだけ「体の自然性」の方に歩み寄っただけの話なのである。


「なんで〜!」


とすぐに理由を知りたがる。それには相応な特殊な種や仕掛けがあることであってほしいのであろうか。


ちょっとお待ち下され。


突然肩が柔らなくなるのは、自分で作っていたこわばりを手放しただけの話だし、氣の交流なんてのは、動物界では当たり前ではないですか。人間に限定するからなにか不思議なことのように思い、特別特殊なことにしてしまいたいようですが、生物界では当たり前のことばかりですよ。


現代人だけを見ていると、肩こりも首がばりばりも腰がぎしぎしなのも「そんなもんでしょ、みんなそうじゃない」と思うかもしれないが、ほんっとに人間だけである。それも幼児以外の大人だけである。


筆者の振るまいに「何で!??」と思うなら、ちょっとみなさんの回りのペットでもご覧あれ。普通の犬でも猫でも、なぜあれほど、ゆるんでこりこわばりなく歩き、走り、美しくジャンプするのか。なぜ姿も見えず、風下にいて臭いを感じられる条件もく、姿も見えないのに、飼い主が帰宅してくると、遠くの角を曲がっただけで嬉しそうに吠えるのか。よほど「なんで〜!」である。


人間以外では当たり前に使っている能力である。


であるから、練習して練習して身につける特殊能力ではなく、掘っていけば湧いてくる自然な能力である。



そうやった真っ白にリセットした自分というカンバスに、「役」という「絵」を思う存分描いて頂きたいなと思うのである。