808話 またまた意識無意識

最近の筆者の書くものの傾向は潜在意識や無意識、および体の方へ偏っているのである。


意識的な努力が、意識と体のずれを作るのだとか、視覚と思考に偏った使い方から、首の動きというのは不自然なものになり、目の主導による使い方をやめないと、感覚器は十全に働かず、したがって感受性は鈍くなるぞ、などと俳優の方をさんざん脅かしているのである。


首と身体の一致する角度もとらないで、何が瞑想だ!などとヨガの先生の悪口を言っているのである。


こうやって、無責任に他の批判をして「意識的批判」を繰り返していくと、筆者はそちらへ偏っていくのであるが、もともと世の中に必用のないものなんてないので、「ほたら、意識的な努力いうのをどうすんねん」という声なき声が聞こえ、ここ数日筆者は実は意識的な働き、意識的な努力というものを取り組んでいるのである。


といっても、最近の研究の続きでもある。


目標や達成イメージによっては「体がまったく整わず、統一せず、へなへなになる」という現象を注目した結果である。


いかにも潜在意識が喜びそうな、成功本や成功セミナーから仕入れたような文言に、見事に体が負の反射をする幾名かの方々のケースがある。


プラスイメージに満ちあふれた文言であるのにもかかわらず、腰が抜ける反射が出るケースに、筆者は「そのプラスの言葉をうち消してあまりある『どうせ無理や どうせやらんわな、ワシは』という声なき声が同時に鳴り響いているのであろうと推察している。


これはある意味健全なことである。できもしないことに対して、体がプラスに反射したのでは人生おかしくなる。できないことに対しては、何となく違和感を感じ、脱力感を感じるのが正常であるのだ。


といっても、筆者は潜在意識の力を否定するのではない。無意識のパワーを侮っているのでもない。どちらかと言えば、積極的に推進していきたい立場である。


であるから、スキル的に不備であるのにもかかわらず万能を歌いたくない。


体という物差しを当ててシビアに観ると、いかにプラスに満ちあふれた言葉であっても、体がへなへなになる、という事実をシビアに観た上でどう取り組んでいけばいいかを考えているのである。