810話 なぜうまくいく事態は起こらなかったのか 2

筆者は、一日の終わり、または今から取り組もうとしていことの終了時点という未来に立って「なぜ、ああ良い一日だったという事態にならなかったのか」と、考えてみるのである。


今日という一日が、ぐったりと疲労感に包まれた達成感や充実感のない一日に陥ってしまうとしたら、筆者はどういうことをしてしまうのであろう、と考えると、やりそうなことはことごとく思いつく。


だっていつだってそうやっているんだもん。


そして、ボタンの掛け違いをしそうな分岐点は、実はことごとく自覚していることが目の当たりになる。その分岐点をに気を付けていると、100点の一日にはならなくても、75点ぐらいの満足度のある取り組みになる。


成功本には、いろいろはすばらしい方法が載っている。だから読むと何か成功できそうな願望が実現しそうな気になる。だから書いてあることに嘘ではないものが多いだろうとは思う。読んで参考にさせた頂いてものもたくさんある。


しかし、実際に成功する人が少ないのは、次々と成功本や願望実現本が出版され、高く平積みにされてベストセラー入りし、そのたぐいのセミナーに高額であっても人が詰めかける現状を見れば明らかである。


医学が進歩するというのは、病院に閑古鳥が鳴き、医者が生活苦に陥ってしまうような世の中が来ることである。


成功本が売れるのは、読んでも成功しなかった人が圧倒的多数だからである。ゆえに成功本の潜在的な読者の数が減らないのである。


成功本を読みたくなるのは、今がバラ色でないからである。本に書かれている「願望実現のためのいい方法」を読むと将来がバラ色に見える。


しかし、今、「実際にはバラ色でない私」というのは、一日の中に多数ある分岐点において、せっせとバラ色にならない選択をし続けている私であるのである。


ひらたく言うと「いらんことばっかりしている」のである。


そしてバラ色になる方法で一日を塗りつぶせば、バラ色になる、というふうに勝手に決めているのであるが、多くの場合「いらないことをしてしまう回路」もしくは「必用なことはしない回路」はそのままなので、バラ色だったはずの日々がいつしかドドメ色になるのである。


しかし、これって、いわゆるビジネス書の「成功のためのプランニング」なんて本には「うまくいかないと予測される要素を想定しておき対策を考えよう」というような項目で登場するものと一緒じゃないかとも言える。


そう思う方はそう思えばいいのであるが、筆者の中ではまったく違うのである。


なんたって筆者は『一日の中に多数ある分岐点において、せっせとバラ色にならない選択をし続けている私であるのである。』


「うまくいかないと予測される要素を想定しておき対策を考える」ようなことは、この「不幸の選択の私」にはできない。やったとしても、薄っぺらい「誰にでも通用するような想定要素」になるだろう。つまり「私でなくても起こるだろうマイナス要素」ばかりを考えてしまうということが言いたい。


ところが、未来のある一点で「なぜ目的としていた成功が得られない事態が起こったか」の場合は、「私ならやりそうなこと」「私しかやりそうもないこと」「私がやりそうな(っていつもやっている)手抜き」などの要素が赤裸々に列挙されるのである。


そうして、それらの要素を回避して行けたとしたら、あきらかにうまくいく確率は上昇することを確信するのである。


ようするに「それを実現したいなら、これこれのことをきちんとやっていくのは当たり前」という要素をやらずに、いらんことばっかりやっている。その割合を好ましい方向へ変化させていくということである。


成功のために、何か新しい要素を付け加えよう、付け加えていけば結果が変わる、というイメージが、一般的であろう。


しかし、筆者の体感からするならば、これも「必用なことをしないで」「いらんことばっかりしている」筆者のごとき人間ではなく「必用なことを実行して」「不必要なことをやめる」という、至極当たり前のことがすでに実行できている方は、付け加えでもいいだろう。


しかし、そういう当たり前のことが当たり前にできている方は、すでに充実した日々とそれなりの成果を手にしていると思われるので、改めて成功本を読んで付け加えるようなことは不必要な気がする。