820話 花火職人の親方

今日は淀川花火大会。

ここのところ、毎年開催の「屋上の小屋の屋根で花火を観る会」である。


神戸からはM厨さんとM橋さん、超花火好きなOさんとN井さんは泡盛持参で、N沢さん、N貴さんのラブラブ組、H谷さんは美味しいおにぎり持参、パッケージに命をかけるS本さんは家族4人、K子ちゃんも家族三人で参加。T中さんと来た張る合宿参加のM本さんは浴衣である。北海道へ帰る途中のO井さん、久しぶりのM鍋さん、一足遅れてO渕さんなどがどやどやの屋根の上に上がる。


今年も見事な花火である。


今年印象に残ったのは、ぱーんとはじけた後、長い時間ちらちらと待っている「ちらちら君」(命名は筆者)といつはじけたのか分からないのに、いつのまにか広がって浮いている「ひらひらちゃん」(命名は筆者)と、はじけないでうごめきながら浮いている「ぽにょぽにょ」(命名は筆者)である。


およそ40分ほどの間に、ほとんど途切れなく、しかし、起承転結、オープニングからクライマックスまでストーリーがある。


筆者は、花火も感動するのであるが、実はこの花火を考えている人の方に筆者は感動するのである。プロデュースしている「親方」がいるはずである。


時間はたぶんおよそ40分。秒に直すと2400秒。一秒に4発でも1万発。(実際はもっと多いような気がする)


その最初から最後まで何を何発、どの順番で、どういうタイミングで、というのが決まっているから実行できる。決まっているということは、決めた誰かがいる訳である。決めた誰かがいるから、何を何発という準備もできるのである。


筆者が口をぽかーんと開けて、時々はかたわらの三ツ矢サイダーに手を伸ばしたり、たばこに火を点けたりする間も、おそらく花火職人の親方は一瞬も片時も花火から目を離さないのである。


そして「あれは照りが足りなかった」とか「広がりがいまいちや」とか「滞空時間が短い」とか「不発や」とか「まずまずや」とか「間延びした」とかを鋭い眼光で分析しているのであろう。


なにわの空に広がる花火のその広がりを、一つ頭の中に収めている花火職人の親方が、実は花火よりも好きなような気がする筆者であった。


ということで、おそらく来年もやります、花火鑑賞会。