835話 丹田リレーションスポット説

昨日の演劇塾の今日のテーマは「関係性」。


八木氏による様々なメソッドトレーニングの後に時間をもらって、「和の体育 氣の体育」の観点からの切り口での訓練をする。


題して「リレーション スポット」。


向かい合う二人が、相手に関心を持っている状態になると、その間合いの中に、氣のボールのようなものが現れる。触れて氣感があり、いじくられると「関係している二人」はこそばゆく、温めるように触れられると、お二人とも気持ちよくなる。


相手に向かって言葉を投げかけるよりも、そのスポットに言葉をかける方が、声をかけられた方は体に言葉がびんびんと響く。


三人一組で実習していて、各組ともいろいろと試行錯誤や実験が現れてとても面白い。




と、ここまで書いて、何か続きに詰まった。実際にあの場に居合わせなかった方にとっては、何のことか分からないし、参加されたみなさんに取っては、この文章は別に何も新しいものはもたらさない。


自分用に書こう。


異なる二人の間の関係性というものが、触感をともなう具体的なエネルギースポットとして存在する。


縁もゆかりもない二人の間のエネルギースポット(リレーションスポット)に働きかけることで、二人ともに通常以上の影響力を持つ働きかけができる。(スポットに声をかけると普通に話しかけられるよりも言葉が体に響くというのがその例)


また二人のリレーションスポットに導かれるように動くと、たとえば社交ダンス的な動きは、とっても一体感があるスムーズな動きになる。


関係性の実験を二人から三人に増やしても、同じようにその参加者全体に響く働きかけができるようになる。


よく考えれば、一人の人間というものも、単一の固まりのようで、その実、細胞や微生物という生命を持つものの集合体である。体細胞にも遊離細胞といって、体の中を微生物のようにふらふらしているものだって(免疫細胞とか血球とかね)ある。


細胞の数で言えば、60兆ほど(誰が数えたんだろ)の集合体である。この60兆の一つ一つが、自分以外の59兆99億9999万9999個の細胞に関心を向けた状態ができれば、同じくリレーションスポットが生まれるであろう。


二人の間のリレーションスポットは、おおむね二人を水平に最短距離で結ぶ無数の線の、どれか一本のおおむね中間あたりにできる。


では60兆の細胞のリレーションスポットは、どこにできるかと考えれば、体内にできると考えるのが適当である。全身の60兆からおおむね最も中心に近いのは、正中線上の上下の真ん中あたりである。


身長の半分というのはどのあたりか。人の脚の長さは平均すると身長の53%。(と医学書に書いてあった)足のスタート位置は股関節。股関節と正中線を結んだ線というのは下腹。


このように考えると、丹田というのは全身の細胞のリレーションスポットである、と仮説が立つ。

リレーションスポットを有効に働かせようとすればどうすればいいのか、ということを考えれば、どうやれば「丹田」を有効に働かせることができるのか、ということが分かるということになる。


また、丹田=リレーションスポット説をとるとすると、丹田に関する諸説の中に違和感が出てくるものがある。


「下っ腹に力を込めよ」なんて言うのは、リレーションスポットとしての丹田の効果促進には効果がなく、デメリットの方が大きいように思えてくる。


丹田を鍛える」という言葉が指す方向性自体が、実は丹田の効果促進、威力?増進から離れていることになっていくような気もしてくる。


あああ、このテーマ面白い。