901話 900話突破


めでたいついでに、この拙文集も通巻900話を越えた。


はてな」にする前に、ココログやよく分からない日記ページで245話ほど書いている。それも加えての900話であり、とりあえず、「はてな」では1000話までは書こうと思って始めた。


今46歳の筆者であるが、プランでは50歳以後は夢の印税生活ができることになっている。ブログはそれに至るためのステップである。


今の「人が元気を取り戻すための強烈なお手伝い」の仕事をやめる気はないので、優雅に執筆活動に時間を割ける予定はない。年々忙しくなりこそすれ、自由になる時間は少ない。(ありがたいことです)なんせ今日は久々の一日休みであるが、34日ぶりである。


そこで筆者の鉄壁のプランは、敬愛する内田老師のように、出版社の敏腕編集者が、勝手にブログを大蔵ざらえして「これと、これとこれをまとめて一冊にしましょう」という左うちわ作家家業をもくろんでいるのである。校正のみで印税をゲットする、というまことに世の中をなめたプランである。


1000話単位でネタがあれば何とかなりそうな気がするのである。しかし、200話、300話ぐらいしか書いてなかった頃は、1000話に近づくころには、もう少し上記プランに接近しているような手応えがあるように予測していたが、今のところそういう気配はまったくない。


ところで昔読んだ「究極の手帳術」という本の著者で福島哲史という方が「何でも10年続ければ一流になる」ということを書かれていた。根拠に納得した。


何かを始める人は多いが続ける人は少ない。10年も続ければほとんどの人が脱落していて、競争相手がいなくなっているのである、と書いてあった。なるほど。競争相手がいなければ第一人者である。(分野を選ぶ必用はあるでしょうが)


整体を本格的に勉強し始めてから10年である。最近やっていることは、かつての自分が想像していた「なかなかのもの」のレベルではあるので、そこまで導いて頂いた諸先生方とのご縁には感謝である。


しかし、今自分がやっているのは、八木氏が言うところの「ボディチューニング」という言い方でしっくりするレベルであって、「整体」の文字を使うには、とてもおこがましいと感じる。(ただし、整体と言う方が通りがいいので使ってはいるんだけれど)


ある程度できることが増えてきて、先人、先達のレベルというものが、自分よりも遙かずっと先の、想像がつかないレベルで人の心身を観ておられた(おられる)のだろうなあ、ということは想像がつくようになったのであった。


なんにしても10年たつと、なるほどなにがしかのまとまったものと出会えるよなあ、とそれは納得の筆者である。


ここまで足かけ4年ほど書いている。

後6年ほど毎日一話ずつ書けば、通算で3000話は越える。それぐらい書けば何か変わるような気もする。3000話のストックがあれば、少なくとも、筆者の作品の大ファンである筆者が、読むものに不自由しないのは確かである。