904話 小さい秋みつけよう 2

猛暑は話題になる。連日ニュースになる。注目される。もてはやされる。異常気象とか「温暖化」とかレッテルを貼られてしまう。常と違うことはニュースになり、注目を浴びる。


冬だって、厳冬とか大寒波というとニュースになる。暑さ、寒さというのはより厳しい方に向かって際限がない。(理論的には大阪でマイナス20度の冬も気温45度の夏だってありうる)。


ところが、秋らしい秋、(春らしい春)というのは、「ちょうどいい」のである。暑くなく寒くなく。さわやかであり気持ちがいい。このちょうどいいというのは、暑さと寒さのシーソーがあったとしたら、ちょうどつりあうあたりにあたる。限りなく一点に近い。


寒いと言い出してもまだまだ気温が下がる冬や、暑くなったと感じたところからさらに鰻登りに気温の上がる夏の幅広さに対して、ちょうどいい秋はきわめて気温の幅が狭い。


そして、酷暑や厳寒などにはさんざん注目する世間のみなさまは、「ちょうど気持ちいい」に対しては、ほとんどコメントをされない。


暑さ、寒さには顔を歪め、くちびるを突き出し、不快感を全身で表現しながら「暑いのお」などと不幸を確認するのであるが、春や秋の「ちょうどいい」に対しては、ほぼ無視する。


これは、一般のみなさまの人体における苦痛・不快感と、それに対する対応と実はきわめて似ている。痛いところ、こわばるところをピックアップして、その部分を回りと分断して、その部分の苦痛のみを取り出して確認するのである。


たとえば、痛いところをじっくりとストレッチする、なんてのもこれほぼ同じである。やっている最中は気持ちいいような気もするが、じゃあ厳密に精査して、不快な部分と全体の統一性がどうなっているかと調べてみると、たいていは不快感はたいして変わらず、全身の統一性は低下している。平たく言うと「ぜんぜん良くなってねーじゃねーか」ということである。


軽い肩こり、小さい筋肉痛のたぐいなら、歩くだけで消えますよ、というレッスンがある。(合宿でもホロンでやりましてね)「押し」も「もみ」も「貼り薬」も「塗り薬」も不要である。ただその不快な部分を意識して歩くだけである。


その効果に感動しているのが,先日の桃ちゃん@和服で自転車さんからのメールである。


コツとしては、不快感を確認するように動かさないこと。注目するが、あれこれ評価したり工夫したりせず、ただ変化をながめているようにすると、あれあれ不思議、講習会場を2往復もすると、ほとんど人が「不快感が消えました」とおっしゃる。(つづく)