906話 先人のお陰

たまに甲野善紀先生のHPに飛び、随感録なる日記を拝読する。


とても有名になり、各方面から引っ張りだこの甲野善紀先生である。


甲野先生は、凄い方である。何が凄いって、「僕は強くも上手くもありません」というところから武術家宣言(著述活動)を始められた、おそらく日本で最初の方である。20数年前からそういうスタンスで活動されていた。


「僕は上手くも強くもありません。あ〜びっくりした、こんな凄い人がいました。またまたびっくりしました、こんな凄い人がいて、こんな術理がありました。あっ、ちょっとばかり出来るようになりました。でもまだまだです」


これをず〜っと続けてこられているのである。


「強いか弱いか」という尺度しかなかったその世界を見る目に、そういう角度でのかかわり方があることを知らしめてくださったのである。甲野先生が媒体となって、隠れたる達人のあることを知り、現在の体格パワーのk−1もあるけど、術理の古武術ブームもあるにつながっているのである。


そういう系譜のず〜っと下座の方で、40年計画ぐらいで「前年よりもましになること」を試みている筆者である。その道を楽しませて頂いているのである。


武道・武術の世界に「現在の強弱」だけしか価値基準がなければ、筆者はとうに武術・武道とのかかわりを断念していたことは間違いない。取りあえずの「闘争的体力」だったら20代の筆者に40代の筆者はかなわない。


しかしながら「心身使いこなし総合力」であれば、20代の筆者は現在の筆者にはとうていかなわない。(といってもたいしたレベルではない)


本日の「整体武術を稽古しようのクラス」の出席者だって、社会学を教えていたけど、頭の世界ばかり追いかけていたので、頭を使わないで無意識や体にまかせる世界をかいま見るのだという元大学の先生と奥様、とか「肩こり歴40年、高校で国語教えていますけど、格闘技はやろうと思いません氏とか、OLですが、カントリーダンスやってますけど、この道場でやってることでダンスが楽しいから色々来てます嬢などなどである。


甲野先生の拓かれた土壌があってこそ、格闘技路線ならまずご縁はなかったろう、そういった方々が我が道場に来られるのである。そして人間の不思議さ、おもしろさを共鳴しあえるのである。

ありがたいことである。