908話 新しい月の初日だ

和歌山発で、滋賀の近江八幡へ。ドアツードアで3時間ほど。そんなに長時間とは思わなかったが、同じ時間で新大阪からなら東京まで行けてしまう。


新幹線に乗って東京へと行く、ということになると、ジュースやら弁当やらを買わないと何か大事なことをし忘れたような気になるが、紀州から近江の国へは二度の乗り換えをはさむせいか、それほど大ごととは感じず、ごちゃごちゃと読んだり書いたり整理したりしていると、あっという間に着いてしまう。


出張での整体が終わって帰途につく。


夕方には道場で整体があるが、はるばる近江の国まで出かけてあっさり帰るのももったいない。新快速の野洲駅まえに「ほほえみの湯」なる巨大日帰り銭湯があるのを見つけて発作的に途中下車。


下記※〜※はおそらく何を書いているかわかんないですよ。


さて、筋肉の緊張、コリというものは、その逆側に任意の一点を定め、その一点に身体のいくつかの部分が磁力のように引っ張られているような力が働き続けていると仮定すると説明がつく。


その引力点と重力の双方とバランスを取って直立姿勢を取ろうとする場合に、余分に力を入れないと直立での正姿勢(または正姿勢に近い姿勢)が保てないのであるが、その持続的に正姿勢保持のための筋緊張がコリであると確認できる場合が非常に多い。


そして、その緊張点から、引力点への気の照射(のように見える)方向性を持った愉気ないし押圧によって緊張点は消失する。


そして、そういう部分の気の押圧以外にも、その引力点に身体の各部分が引っ張られている方向にそのまま姿勢を進めていき、もっとも引力点の持つ要求と重なる姿勢を保持する運動でも、やはり筋緊張は消失し、運動可動域はいきなり本来の広さを回復し、軽快感が現れる。


この引力点に向かう運動を設計(読みとり)する場合にも、引力方向の干渉は絶えずある。したがって、その時からだが最もやりたがっている姿勢が、あきらかに直立不可能なところまで大きくひずんでいく場合には、筋緊張が消失するような角度まで持っていけないことがある。


引力点による「ひっぱり磁力」のようなものは、緊張が消失するまでは常に働いているので、自我意識をお休みさせて関節各部分をリラックスした状態にすれば、それはあたかも「引っ張られるように」自動的に表出するのであるが、前記した「立ったままでは、その姿勢が取れない」というような場合には、その運動にブレーキがかかる。


筆者の仮説では、無重力状態で「伸びやかに気の満ちた(気に意識を向けた)積極的な休め」状態にすれば、自動的に「ひずみ解消運動」がふわふわ浮きながら出てくるものだと推測しているが、NASAに友達がいないので、今のところ確かめられない。


しかしながら、無重力に近いものとしては、浮力の使える水中がある。水中で「伸びやかに気の満ちた(気に意識を向けた)積極的な休め」状態が取れれば、おそらく全身のバランス調整としてはきわめて優れたものになるだろうということが推察できる。


ということで、ほほえみの湯でも、できるだけ深い浴槽を探して、浮力にまかせた状態で、主として背骨がどういう角度を取っていくかを観察しながら入る。


残念ながら、首は浴槽の縁に引っかけたままなので(でないと沈んでしまいまんがな)全身の運動要求を解析するには至らなかったが、調整効果としてはけっこう高いものであることまでは分かった。


お魚とか珊瑚礁とかは後回しで良いので、とりあえず背骨の調整反射運動を水中で息継ぎを気にしないでじっくり研究するためにダイビングしたいなあと思う筆者であった。



というような入浴をし、サウナを楽しみ、水風呂を堪能して、道場へと戻る。


後、夜は「追憶ノ青いバラ」の反省会といいますか、検討会といいますか、飲み会があるので、天満橋の牧さんの事務所の近所の「元阪神タイガースの掛布のお店」へ。大学生の二人は多忙で欠席。