914話 スペアリブは心して食べよ

自然体チューニングの一日講習会。事前に告知したように、さして宣伝もしないのに、続々と参加希望者の申し出があり、予約者の数は、2週間前には道場がめいっぱいになる16人に迫る人数を数えていた。


声をかけておいてお断りするのは忍びないので、宣伝を手控えていたら、あれれ、続々とキャンセルの連絡が。気づいたら合計8名の人が参加できない、となって今日の参加は10名。


本日の目玉は、以前に火曜日の稽古でもやって好評だった「肋骨」。


肋骨というのは、12個の胸椎から伸びて、ぐるりと胴体を囲んでいる。輪投げの輪が隙間をあけて重なっているようなものとも言えるが、その角度は地面に対して水平ではなく、背骨側から体の前側にむかって急角度で下がっている。そして下りきる直前に急に進路変更して上向きとなる。ひげのように伸びているだけの11番目と12番目をのぞけば、残り10本の肋骨は上向きに進路を変えてことごとく胸骨に連なる。


胸骨というのは、のどの下からみぞおちの上までの骨。短いネクタイのようなものである。10本の肋骨はあるものは肺や心臓の裏側を通り、あるものは胃袋や肝臓の後や横をつつみ、またあるものは腎臓の横でカーブを描き、非常に大きなエリアを旅した後、胸骨に至るのである。


かような構造に注目するなら、胸骨というのは、肋骨の出会い系サイトのようなものである。胴体のあらゆる情報がここに集積されるハブ空港ターミナル駅のように見える。


「喜びで胸がいっぱい」とか「悲しみで胸が張り裂けそう」などと様々な体感が浮上する「胸」であるが、それはおそらく胸そのものの嘆きや喜びではなく、肋骨が描いた全エリアの情報の反映と考えた方が妥当ではないか、と思う筆者である。


肋骨の「あばら」の部分、またお肉の無い「胸骨」の部分というのは、ともに人体の中で日陰者である。まったく注目されないし、かまってもらえない。


割れた腹筋を目指す人も多く、たくましい背中にくらっとする女性も少なからずおられるらしい。しかし、そのすぐお隣にいながら、あばらを注目する声は聞いたことがない。逆に、「アフリカの内戦国の難民キャンプで最悪の食糧事情で、肋骨の浮き出た悲惨な子どもたち」というような時にのみ注目されるという不幸な運命の持ち主である。


だいたい、その名前からして、とっても投げやりだとは思いませんか。「あばら」やて。


ぼろぼろの家のことを「あばら屋」と言う。それって胴体を包んで守ってくれている肋骨に対して失礼だとは思いませんか!


胸骨だってそうである。胸郭エリアにあってお隣どうしの、男性であれば「大胸筋」なんてのはとっても注目される。女性であれば乳房・おっぱいなんてのも注目される。注目だけでなく、赤ちゃんから恋人・配偶者から痴漢に至るまでものすごく注目される。


その大スター乳房にはさまれながら、胸骨というのはまったく注目されない。


あばらも胸骨も、お肉のない部分だから、マッサージに行ったって癒してもらえないし、鍼にいったって骨なんだから鍼の対象にもならない。


しかし、その骨格形状から推察される役割や使命を勘定に入れれば、これらの骨格の人体における位置というのは、非常に重要であることは間違いない。


ということで、肋骨と胸骨をその骨格ラインを尊重するようにタッチングするならば、みるみる姿勢は変わる、呼吸は変わる、気分は変わる、バストラインは変わる、肩の閊えは抜ける。


おおお、何という肋骨の偉大な力!その効果の即効性・強力度ともにすばらしいので、火曜日のヨガでも木曜日のホロンでも採用。中身に入れますのでお楽しみに。