915話 自己チューの集まりは楽しい

昨日の続き

●自己チュウたちの正しい宴会


特別講座後の懇親会兼合宿の同窓会として、合宿にも参加したT中ママの経営する神戸の新在家駅前の「鳥久」に出かける。


都合で7名のみの参加になった。鳥久のテーブル席スペースは細長い。その長方形の長い一辺は壁に面しているわけだが、その逆側は厨房からカウンター席へと料理を運ぶ通路になっている。人数が多いときには、その面にもイスを出して座るのだが、今日は少ない人数なので、変形「コ」の字型になって、二時間を楽しむ。


車座ではなかったが、実に「正しい宴会」であった。一人として外れることなく、横の人とのみ密談を交わすことなく、白けることなく、錯乱することなく、一人の発言を全員が聞き、当然全員が笑い、またあらゆる角度から突っ込みが入る。実に一体感のある正しい宴会であった。


人数が少ないということもあるであろう。コの字というのが、予想外に見晴らしが良く、視界に常に自分以外の人をとらえることができたということもあるだろう。しかし、7人以下の人数でも、一体感のない飲み会・お茶会などはざらにある。


筆者の立場から「正しく分析」するならば、この「正しい宴会指数」を押し上げている理由の一つは、全員が「自然体チューニング」の一日講習会の参加者である、ということである。


「自然体チューニング」は、まずは「人体自然運動ラインの活用」によって、ゆるゆる・ばらばらの自然体にし、ついでばらけた自分を合目的的に組み替える「統一体」とすることを目指し、さらには自他一如・我彼一体の「創造的共鳴体」を獲得せんとするトレーニングである。


4時間に渡ってそのトレーニングをこなした面々が、地頭鶏のうまさに瞬時にゆるゆるになり、新しい料理が運ばれるたびに、一気に腰が入って統一体となり、腹中におさまった美味な料理と一体となり、午前午後のトレーニングの成果を土台として、飛躍的にその到達レベルを上げたことは間違いない。


さらに今回の参加メンバーを改めて見回すならば、「自己チュー」メンバーばかりであった。


ここで一言付け加えなければなるまい。新大阪健康道場における「自己チュー」というのは「自己中心的わがままなやつ」という意味ではない。


「自己チューニングに励む熱心なみなさま」という意味である。


退職後、世界放浪をしていない期間は道場に皆勤するK藤@あま○んの女帝さん、寝ているか、パソコンに向かっているか、自己チューニングしているか、道場にきているかというインスパイア大澤さん、40年何をやっても取れなかった肩こりをわずか1ヶ月少々で消滅寸前にもちこんだM安@国語教師さん、友人に会うたび「多己チューニング」を試み、そのことごとく道場へと送り込んでくるS崎@「まご」命さんや、4年越しの不調を2ヶ月で脱しかけているM橋さん、当ブログのコメントでもおなじみのS元@パッケージ魂などの面々である。


おおお、これは共鳴にも増して共鳴することは当然のことであった。


ということで、S元@パッケージ魂さんからの「食後」の報告メールです。


とり久も旨し楽しのすてきな時間でした。
一皿目の刺身から「これはいける」と確信した後
次から次へと繰り出される料理が与えてくれる快感に
ただただ身を任せるばかりでした。

ただ、序盤に飛ばしすぎたおかげで
楽しみにしていたスープが出て来る前に
満腹度合いは120%。
なのに、スープの魅力に負けて
さらに、ご飯にスープをかけて食ったりしたので
そこはやはり、どんなにすばらしい料理でも
限界をすぎるとやはりだめみたいで
最後には、口もききたくなくなるほどに
なってしまいました。
(それでも、次はどれが食べたいかなどと考えてましたが!)

お店を出た後
このまま目の前の阪神電車に乗ってしまうと
気持ち悪くなりそうだったので
とにかくちょっと歩きたいと
とっさに阪急組についていった訳です。


中略


さすがに、家に着いたときには
完全に通常レベルにまで戻っていました。
しかし、あれだけ肉ばかり
それも、結構しっかりとした味付けのものを
気持ち悪くなるくらい食べたのに
胃もたれしていないのは驚きです。

次の機会もとても楽しみです。
今度は、ある程度ペース配分を考えて
フィニッシュまで、幸福感を持続させたいです。(笑)



ということで、忘年会も鳥久に決定。12月の特別講座を通常の第一日曜ではなく16日にやって、その足で鳥久ということになりました。