930話 自己チューの明るい腰痛生活

整体教室の予約電話をかけてこられた加古川のN川さんに、最近の体調を尋ねると、「風邪になったと思ったらそこに腰痛を併発して身動き取れなくなったんですよ」と言う。


その声が明るい。喜びにあふれている。


「腰痛になる前には、自己チューけっこうやってませんでした?」


「ふだんの仕事が外回りですから、歩く時はけっこうずっとやってました」
なるほど。「あの」腰痛ね。


自己チューニングをせっせとやって、古びたからだを新品同様の自然体に戻す。タッチ・チューニングは、講習会で短時間やっただけでも十分に効果を発揮する。驚異的に運動・動きのなめらかさが変わる。しかし、そんなものは序章に過ぎない。


さらに、筆者の言うことをいい意味で「鵜呑み」にして、生活の中に「自己チュー」を組み込んだ方は、しばらく続けると本格的に身体が変わってくる。ホント、ここからが楽しいのである。


人によって「自己チュー」をかける場所の必要性や好みが異なるし、ライフスタイルによってもやりやすい部分などがあるし、また人により癒着したり萎縮・硬化している部分は違うから、ゆるゆるの自然体の甦り方も、人それぞれ個人差がある。


まだらと言うか、ちぐはぐというか。変わりやすいところが変わり、そうでない部分は後からついてくる。


そうやって体内の過半数?が新品同様になってきたころに、いきなり調子が悪くなったかのような状況が現れることがある。


セルフイメージでせっせと自然体に戻るようにと体に働きかけていたのが、体の方が本気になって使い方の組み替えを始めるようなのである。このあたりはS本さんやS澤ママさんは深くうなずかれることと思う。


実際には、関節を抜いて、2ミリ横の別の穴に差し込むなんてことは行われていないわけだけれども、そういう表現があながち外れではないような体感なのである。


そういうことを体が一気に始めようとしている時に、動作の要になる腰が頑固一徹頑迷固執で「新しい秩序」になじまない、というような状況であると、体の各部分が腰に対して「お父さんはしばらく黙っててよ、僕らでやるから」というような感じで、腰を座敷牢に押し込め、身動きできないようにしておいて、一気にねじのつけかえ、バネの交換、ねじ穴の補修、かぜひいたゴムの交換などをしてしまうのであろう。


などなどと書くのは、筆者も自己チューが進んだ時に、そういう「とっても気持ちのいいぎっくり腰状態」があったからである。


N川さんは言う。


「いや〜、腰は動かないんですが、肩のバランスは整ってくるし、あっちこっちどんどん一皮も二皮もむけてくるんですよ」

そうでしょう、そうでしょう。


「腰だけ見れば、痛みはすぐには取れないのですが、全身の方は次にどうなった行くのか、ものすごい楽しみで。」
そうでしょう、そうでしょう。


「嫁さんから、『お父さんみたいな嬉しそうなぎっくり腰の人はみたことがないわ』と言われました」

お見事です。


体感としては「解体修理」という感じである。単に「壊れた」「故障した」というのとは違うのである。それはほんとうに「ああ、創造のための破壊だ」と実感するんだから仕方がない。


こういった「目先の結果(苦痛)」だけに一喜一憂しないですむのも、日頃から体と向き合うことで、「変わりつつある流れ」を把握してこその「楽しい腰痛生活」であると思うのである。


不調になった時に「これも必用があって起こっているのよ」と、考えたり解釈することは誰でもできるが、「納得の実感を得る」にはやはり日頃がものを言うのである。