940話 講習会実現も自然にまかせて

1日。


朝に和歌山で、午後に尼崎で整体の後、新大阪でS本さんと待ち合わて、福山経由で笠岡に向かう。


俊さん@酋長に笠岡駅まで迎えに来てもらって、「薬効手染めの店、アルデバラン」のお隣の自宅へ。


ここで岡山市で自然出産自宅出産に携わる助産婦のK賀さんと合流。俊@酋長より「津田くんのメソッドをこちらでもやりなよ。知り合いの自宅出産の助産婦さんを紹介するから」ということで、本日のご対面。


ホットパックに入れて、なんとか温かいまま持ち込んだ南方の人気たこやき店「18番」のたこ焼きのお土産をみんなでつつき、しゅんさんの知人が広島で取ってきたという「松茸」の入った鍋を囲んでしばし歓談、かつ飲み食らう。


K賀さんは、ご自分の出産に対する考え方や、昨今の助産士としての活動の方向性などをるる述べられて、(それはとっても素敵で共感できるものであったが)


「・・・ということで、とても良いものでも、何か別のメソッドを持ってきて、妊婦さんに押しつけるというのはやろうとは思うとらんのんじゃよう」


と話を結ばれた。ようするに


「あなたはお呼びでない」


ということを婉曲に告げられたのであった。


これは別にK賀さんを非難している訳ではない。自然なお産というものに取り組めば取り組むほど、何かのメソッドに頼るということは、その理想の形から離れてしまうのである。


自然出産させたいということは、「自然出産という特別なとてもいいお産の方法があるから、その教えに従いなさい、考え方ややり方にのっとってやりなさい」ということではない。自分自身と赤ちゃんの生命を信頼して、ゆだね、まかせ、それに従い、ダイナミックな生命のうねりを体験してね、ということだと解釈した。


実はこれは筆者の整体や自然体チューニングの立場と同じなのである。そして、筆者も(今のところ)例えそれがどれだけいいものであろうと、あまり他のメソッドと合わせてやりたいとは思わない。


K賀さんも筆者も、メソッドと引き替えに「安産」や「健康」を手に入れる、という考え方には違和感を持つことが共通しているように思える。


たとえば、「自然出産」を志して、ネットや本でそれを調べる。そして、ことごとくそこに書いてある通りにやらなければいけないと思いこむ。この時点ですでに「不自然出産」である。


K賀さんは「自宅で産もうと、助産所で産もうと、それこそ病院で産もうと、一人で産もうと、夫に立ち会ってもらおうと、家族に囲まれようと、友人までいようと、それが赤ちゃんとお母さんがもっとも安心で、それぞれの生命がそれを望んでいれば、何でもありである」という立場である。


ほんと、とっても自然なのである。


「ま、一度体験してみれば」


との酋長のお言葉により、K賀さんやらふみさんやらとピポパと整体。


さらにK賀さんが「ヨガ的柔軟体操」を始めたので、後から「自然体チューニングサポート」を氣でやると、もともととっても「自然体」な方であるから、どんどんと自然な動きが次から次へと出て来て、みるみる柔軟性が回復してきて、しばし忘我の世界へと入り込むK賀さんであった。


そしてポーズに没頭していた顔をふっと上げると


「で、月に一回とかこちらに来てやってもらうっていうのはどう?」

とか


「木曜日や金曜日、で毎週でなかったら都合がつかないことは無い、って言われてましてけど」


とか


「まずは今月末の方で一回やってもらう、ということで」


「夜のOLさんなんかにこそやってもらいたいわ。夜まで残ってもらうのは大丈夫かしら」


と、何か最初とはうってかわった展開になる。


ということで、もう少ししたら、岡山講習会&整体個人セッション が始まりそうなので、また具体的に決まったらお知らせします。