941話 歴史デカ 中村武生先生 1

●歴史デカ 中村武生先生は
  (地道に) 歩く 大捜査線 


俊さんちに泊めて頂いて明けて二日。


S本さんは俊さんと「アルデバランにおける包装のあり方検討会」を実施。


地元NPOの手で「旧・魚屋萬蔵宅(萬三だったかな?)」が、「龍馬の宿 船宿いろは」として再生され、11月15日に予定されているオープン記念イベントをどうする?の会議に参加させていただくために広島県福山市鞆の浦へと向かう。


この魚屋萬蔵宅というのは、明治維新の頃、海援隊の持ち船「いろは丸」が、紀州藩の船に当て逃げ?撃沈され、坂本龍馬が補償交渉・談判を行ったという史跡である。


10年ほど前に売りに出されたのを、見かねた地元NPO「鞆 街づくり工房」が多数の支援を受けて購入し、傾き崩壊寸前だったこの家屋を、これまた意気に感じた建設会社や多数の職人の手で修理、再生したというものである。


●そのあたりの詳しい経緯や龍馬の宿の現在などはこちら

   鞆 まちづくり工房

   http://www.vesta.dti.ne.jp/~npo-tomo/top/top.html


手を付けてなんと4年がかりでほぼ完成し、そのオープン記念イベントを龍馬の命日である11月15日にやろうか、というのが本日の会議の主題であり、摘み菜の会・代表の平谷けいこさんがこのプロジェクトにアドバイザー的な立場でかかわっておられる関係で、筆者が「ミーハーな龍馬ファン 代表?」の立場で参加させていただく、ということなのである。


万葉の昔から、瀬戸内の交通の要所として栄えた鞆の浦の港町は、都市的な発展の波からは外れており、そのために「犬も歩けば、史跡に当たる」という町並みがかろうじて残っているのである。しかし、前記した「魚屋萬蔵宅」のように、ざるで水をすくうがごとくこぼれ落ちそうな流れもあり、また日本で唯一?江戸か明治の港の雁木や常夜灯がそのまま残っているその港を、部分的に埋め立て架橋してしまうという強烈な悲しい動きさえあるのである。


今回の会議には、「街のこしの職人」@ためさんも出席が要請されていたのであるが、どうしても都合がつかず、そのためさんが「この方なら」と送り込まれたのが、表題の中村武生先生である。



中村先生のご専門は歴史であるが、正確に言えば「歴史地理」ということになる。


拝見したホームページ、また伺ったお話を浅学少才な筆者が解釈したところによると、こういうスタンスを持たれているようである。


今、歴史の「通説」となっているものは、多くは昭和の初め頃に「誰かが」言い出したことであり、確たるものもあるが、いい加減なものもある。


つまりある史跡で「ここでは誰々によって、××という歴史的な事件が行われたのであります」と説明されたとしたら、われわれ凡人は「ほほう、そうなんですか」となる訳であるが、
中村先生は「何で?」となるのである。


「何を根拠にそのことが言え、またここがその場所であると言えるわけ?」というところかさスタートするのである。古地図を持ち、現地を歩き、現在の地形と照らし合わせ、肌で感じ、古文書、原典に当たる。


そうすると「げええ、嘘ばっかりやんけ」(中村先生はこういう下品な表現をされるわけではない)ということにも行き当たる。


つまり、「いちいち確かめる」のである。


少し話は外れる。(つづく)