942話 歴史デカ 中村武生先生 後編

●歴史デカ 中村武生先生は

    地道に 「歩く大捜査線」 後編


筆者はミュートネットワーク代表の河野智聖先生に師事し、実に多くのことを学ばせて頂いた。その中で特筆すべきものはなにかと言えば、この「いちいち確かめる」という手順を踏むということであった。


もちろん、ミュートメソッドが「いちいち確かめること」を可能にする敏感な身体を養ってくれるのに実に効果的な技術を持っていた、ということもある。また「いちいち確かめる」ことによって、さらに信用のおける精度の高い身体感覚がますます養われるという好循環もあったと思う。


いずれにせよ、権威者が言ったり書いたりすることだからと鵜呑みにせず、初心者が言ったからと言っても否定せず、やってみて確かにそうなった事実を事実として積み上げていけるようになったのである。


これは、こういうふうに文章で見れば「それが当たり前の態度ではないのですか?」というように思われるが、実はまったくそうではない、ということは筆者のフィールドである広い意味での「体育」の世界を見れば一目瞭然である。


たとえば、アキレス腱のストレッチを、ていねいに丹念にやればやるほど、歩いたり走ったり、もしくはただ「立つ」という行為に関して、体全体のまとまりは著しく悪くなり、いわば腰が抜けて分裂し、その状況を体の感度を最大限に上げて観察すると、実は無理をして立っている状態、無理をして歩いている身体になってしまっている。力んでいる人には分からないのであるが、力みを抜いて仔細に観察すると、誰に確かめてもそうなった。


ところが、そのことは実際問題誰も指摘しない。ケガを防止するための丹念なストレッチのはずであるが、誰もケガをしにくいような力みのない、統一感の増した状態になっているか、ということを確かめるような感覚と身体を養っていないのである。


「俺はアキレス腱のストレッチをした後で走りにくさを感じたことは一度もないぞ」という感想をお持ちの方は、入念なストレッチによって弾力を増したアキレス腱による走りやすさ(というものはないと筆者は言っているのだが)も、感じていない方であると推察される。


つまり「ストレッチをすることが常識になっているから、そうする」。それでもケガをすれば、検証することなく、より入念にストレッチをする。


これは昨日書いた「自然出産原理主義」という「不自然さ」に気づかない自然出産希望者と同じである。


中村先生は、つまり検証できた事実のみを積み上げて真実に迫る、という当たり前のスタンスを取られているだけである。しかも文書研究にとどまらず、現地現場からそれをスタートさせるというステップを決して軽視しない。重視されている。


踊る大捜査線で青島刑事も指摘するように「事件は会議室で起こってるんじゃないんだ!現場で起こってるんだ!」ということである。


ともかく、中村先生が口を開くと、鞆の浦の街がみるみる歴史に彩られた光を増し、多層に渡る時代が重層的に浮かんでくるのである。現場と証拠と見解によって紐解かれるその様子は、「歴史家」のそれではなかった。まさしく腕利きの刑事のそれであった。


筆者は非礼を省みず、中村先生に直接その旨申し上げたのであった。


「先生のお話をお聞きすると、先生は歴史家というよりも刑事のようですね」


「まさにそうです。ただし、刑事と違うのは容疑者はことごとくもう死んでいるのです(^-^)」


おおお、そうであった。何と解決困難な事件を数多く抱えていることであろう。容疑者を取調室に連れ込んで「いい加減吐かんかい、オウ、ネタは上がっているんやで」と自白させることはできないのであった。ここに筆者は最大の敬意を込めて、中村先生を「歴史 デカ」とお呼びしたいと思うのである。


しかし、『事件解決』にむけて、敏腕刑事のごとく「勘」を働かせるのはもちろんであるが、しかし、おそらくそこで「見込み捜査」はしない中村先生であるのである。中村先生のスタンスは歴史上の偉人を凡人にすることもあろうが、逆に歴史上のえん罪を晴らすことも多かろうと思う。


ますますご活躍をお祈りする筆者である。


ところで、中村先生のHPを拝見すると、講演会などのスケジュールに11月18日に「京都龍馬会主催」の「龍馬の寺子屋」なるミニイベントが開催されるとある。この日はちょうど「自然体チューニングの追加講座」開催の日である。会場の場所によっては、駆けつけることもできるかもしれぬ。


イベント案内の会場「地図」のページをクリックしてみて絶句した。


その地図には、現存する地名は「三条」「木屋町通り」「河原町通り」の三つのみである。会場へのアクセスの目印になる建物として表記されているのは「池田屋」「酢屋」「菊屋」「近江屋」「土佐藩邸」。


この地図を見て会場にたどり着けるというコアな龍馬ファンを前に、おそらくはその聴衆をさえあんぐりさせるであろう、歴史デカの中村先生であると確信する筆者であった。