952話 いざという時にも

神戸ヒューマンシールドの吉村さんのブログを読んでいて、クロさんのブログがリンクされていて、「おおお!」とのぞきに行った。


クロさんは、日本海重油流出事故の現場でお会いした「日本財団」の「災害救援」のセクションの方のようだった。三国の現場でも加賀の現場でもお会いした。


加賀ではご令嬢お二人(たぶん小学校高学年と中学生ぐらいだったと記憶しているが)を連れてこられ、「学校よりもよっぽど勉強になりますから、かかか」と言われていたのを思い出す。


ご令嬢お二人は、ビリー隊長のような迷彩ズボンを履いて、せっせと重油混じりの砂塊をふるいにかけていた。


クロさん、今も災害救援一筋。その道の方々を集めて民間災害救援隊のようなものも組織しているらしい。


自らの整体を省みて、「そういう現場で通用するもの」でありたいと思っていることに気がついた。


野口先生の戦争中の体験談で、疎開先に「光線治療」の先生と医者がいたそうだ。で二人は「機械がない」「薬がない」と毎日釣りばかりしていたそうだ。野口先生は「光線なら毎日空から照っているではないか、薬なら野山にいくらでもあるじゃないか。治療家と医者だと思っていたが、機械屋と薬屋だったのか」と言われたそうだ。


平和で豊かな(格差格差と言われても、まだまだ日本は世界的にはとっても豊かだと思う)社会ならば、いろいろな癒しなりセラピーの形があるのも、それはそれで豊かさの現れで、そのお陰で元気を取り戻したり、心身の安定を得ている方も多かろうと思う。だからそういうものがいろいろあるのだろう。


だから、これから書くことは、あくまで筆者自身の好みの問題で、人にどうこう言うつもりではない(って言っているけど)。


何百人もいる避難所で、くたびれ果てて、あっちこっち痛めている方々に、一人に30分も1時間もかかるような方法であれば、焼け石に水である。(でもないよりましである)。道具がないと手をこまねいているのも嫌だ。


できれば数分、多くとも10分以内で、格別な道具なく、特別な施設や部屋もなく、場合によっては屋外で、横になるところもなくっても「整った」、「抜けた」、「すっきりした」、「元気になった」という差が出せなくては、実際問題、そういう現場では使い物にならない。


そういう切れ味のものを、ふだんから磨きをかけていきたい。