956話 自転車は偉い
午前と午後の早い時間を空きにして、歯医者に出かける。
「できるだけ抜かない、神経も残したい、説明は相手が子どもだろうとお年を召した方だろうとていねいにする」っと聞いた歯医者さんだったので、ちと遠いのだけれども、あさちゃんの自転車を借りて出かける。
ふだんはもっぱら電車と徒歩。遠出は車という生活になっているので、自転車は新鮮である。
それにしても、なんて楽なんだろう、自転車ってやつは。
ペダルにかける力というものは、ほんの少しなのに、歩くのに倍する速度がスイスイと出る。確かに上り坂はペダルから腰を浮かせてぐいぐいと踏み込まないと上がってくれないけれど、下り坂は漕ぎもしないのにスイスイと進む。
悔しい。
自然体にチューニングすることで、すこぶる快調快適軽快となった我が歩行生活である。最近はパソコン入りの思いソフトアタッシュを持ってさえ軽い。右肩にアタッシュ、左肩に布かばんに着替えに本に尺八にとぎっしり入れてもなお軽い。
が、自転車ほどは軽くない。
しかし、自転車の動力は我が身一つである。下り坂は地球が引っ張ってくれるから漕がないでさえ進む。平坦な道では、我が足のぐりぐり回転のみがその推進力のみなもとである。その「ぐりぐり回転」が「青筋立てて」「鼻息荒く」「全身全霊で」漕がないと進まないかというと、さにあらず。
「♪サイックリング サイックリング やっほ〜 やっほ〜」
という力の程度で、大げさに言えば「は〜たけも 飛ぶ飛ぶ 家も飛ぶ〜」のである。
おまけに座ったままである。
やはり悔しい。我が身一つの脚力を、自転車を通して位置の移動運動に変換すると、これほどに楽になるのである。
つまりそれほどに自転車というものが「ロスを無くす」ことに長けていると言えるだろう。言い換えると、通常の歩行というものが、あまりにも「ロスだらけ」だと言うことになる。
『すこぶる快調快適軽快となった我が歩行』ではあるけれど、前を行く人をひょいひょいと追い抜くところまで速度を上げると、やはり筋肉は張り、体温は上がり、ぎくしゃくとなってしまう。
やはり悔しい。自転車にできることが自分にできないのが悔しい。自動車に負けるなら納得が行くが、自転車にこれだけ水を空けられているのは納得できない。もうちょっと迫りたい。
さらに一ランクも二ランクも上の「歩くだけで幸せ生活」があるに違いない。