957話 たこ焼き犯科帳
ただいま「鬼平犯科帳」13巻目読書中につき、いささか文体が「池波正太郎」っぽくなる筆者である。できれば、下記の文章は「コピーの後、お手元のワープロソフトで縦書きに変換」し、「池波翁の香り」を楽しんで頂ければと思う筆者であった。
阪急南方の停車場横の踏切を「ちょい」と左に折れた先に、「十八番」という「たこ焼き屋」がある。
だしで薄くといた小麦粉を「大胆」に特注の銅製の[たこ焼き鉄板]に注ぐところまでは、他のたこ焼き屋と「同じようなもの」であるが、なじみの客に言わせれば、みじんに切った紅ショウガをちらした後、あふれんばかりに振りかける[てんかす]の香ばしさと歯触りが「まことにおつなもので・・・」
一枚の鉄板には「焼き穴」が12列が七段しつらわれてあり、またたくまに八十四コの「たこ焼き」を焼き上がる職人の「たこクシさばき」はまことに持って「見事としかいいようがありません・・・」ということなのだ。
(こいつは凄い。この親父はいったいこの生涯に、何個のたこ焼きを焼いたのであろう・・・)
と筆者が思うに至ったのも「無理はない・・・」のである。
一度に焼くたこ焼きの数が「84」であるが、それを焼き上げるのに、ざっと十分弱かかると見て、さらに低めに見積もるならば、半時(一時間)ばかりで、ざっと400個のたこ焼きを「世に送り出す」ということになる。
いつ見てもお客の絶えない「十八番」であるが、休憩などを多めに見積もって、[ざっと一日に五時間]焼いていると見るならば、一日に親父の手にかかるたこ焼きは「二千個はくだりませんよう・・・」というからくりが見えてくるのである。
ならば、週ではざっと一万、月なら四万、一年で五十万、親父のキャリアを二十年とするならば、一千万個のたこ焼きが、「誰かの胃袋におさまっている」と推量する筆者であった。
ならば、日本人全員にこのたこ焼きを配るとすれば、「軽く二百年はかかる」ことになり、こうなると
(この親父はすごいのか、すごくないのか、そもそも日本人全員にたこ焼きを配る必用があるのかないのか、訳が分からない・・・)
と、[池波正太郎的文体]で書き始めてみたものの
(慣れぬことには手を出すものではない・・・)
とただ混乱し、錯乱し、悩乱し、唐突にこの項を「終わるので」ある。