987話 忘年会

今年は、鳥久での忘年会であった。17名参加の予定のところ、出入りがあって最終的に15名で筆舌に尽くしがたい美味に酔った15名であった。


直前になった参加できなくなったH谷さんやS本さんに謹んで状況を申し上げる次第である。


さて、テーブルを囲んで11名。カウンターに4名という「隣接はしているけれども一体になって盛り上がるのにはいささか難しい陣形」の忘年会である。


しかし、もともとこの「忘年会」は、忘年会がしたかったのではなく、鳥久で食いたいのでそういう機会を探し、またまだ鳥久を知らぬ人を公式に誘いやすいという名目を探しての開催、というのがその実態である。


ゆえに「まま、社長は上座へ」「いえいえ○○様こそそちらへ」などという「上下問題」が起こりえない、そもそも上も下も中央もない、混雑しているところと辺境(カウンターのもっとも端の人)はあるのであるが、どうまとまっているのかわからない、という陣形であった。


いいのである。鳥久でやる、ということは、「順番に隠し芸」とか「来年の抱負を一言ずつ」などということははなから考えていないということである。本当に美味しいものを味わうのに、他のものはいらないのである。


しかし、である。テーブルを囲んで11名。カウンターに4名という陣形には明らかな問題がある。それは「ごちそうの盛った大皿と、その皿にかかわる人数および位置関係」という「食物格差」の問題である。


オープニングの刺身である。大皿の上にもも、きも、はつ、ずりなどが盛られている。カウンター4人には2皿が配給された。テーブルには5皿が配給された。ほんのわずかだがカウンターの方が「一人あたりの食料配給率」が高い。


ここに食料は十分にある!という確信があると、人には余裕が出る。笑顔も出る。会話を楽しむ余裕もでる。これが上位の「カウンター族」である。横並びの位置関係では、不用意に手が伸びて計算以上に食物がなくなっていく、ということはなく、ますます「上位格差」層の人々は余裕がある。


一方テーブルでは、一つの皿に四方八方からあっという間に箸がのび、「うかうかしているとやばい」というオーラが一気に噴出する。するとふだんはおしとやかな方でも「ごちそうが、あっというまに大皿からなくなっていく」という情景を目の当たりにし、負の連鎖に巻き込まれ、悪魔に魂を売り渡し食料奪い合いの骨肉の闘争へと突入していく。


このままでは、「忘年会」が「暴動会」になるおそれを感じた筆者は、刺身があらかたなくなった時点でくじ引きによる「席替え」を提案し、あっさりと受理された。なんと民主的な宴会であろう。


日本酒を楽しむO澤さんとは、下戸の筆者は水を入れたとっくりで「まずはご一献」「おっとっととっと」ごっこを楽しみ、H原さんとS崎さんは、初対面なのに無二の親友のようにくじ引きをものともせずくっついたまま移動し、K世さんは、「めんどくさいパワー」でくじ引きしているのに同じ場所に居座り続ける。


胃下垂で食欲不振でげんなりしていたYさんも、内臓不調背中ガチガチ体調5点のM口さんも牛飲馬食し、筆者は今後彼女たちの「胃の具合が悪い」の言には一切耳を貸さないことを決意した。


途中からK藤さんは「ホール係」と化し、H原さんから「息子の嫁にほしいようないい娘さんだ」とほめられたのであるが、残念ながら三人の息子さんは全て既婚者であった。


かくして、都合3回の席替えによって、参加者が暴徒化して、新在家駅前でテロを行うこともなく、最後は、食べ尽くせなかった「ほねつきもつ焼き」および「せいろ蒸し」をじゃんけんによってお土産に奪い合い、さらに京都のM本さん提供の「チベットのお塩 バス用」もまたじゃんけんによって争奪すると、全員で「おかたづけ〜♪ おかたずけ〜♪ さあさみんなでおかたづけ〜♪」の大合唱でお片づけの後、鳥久に万歳三唱を贈り、三々五々、帰路についたのであった。