988話 正しい師弟関係

運動、スポーツ、武術、芸事というのは、意識的に「いい(と思いこんでいる)理想の動きをなぞり、繰り返しものにする」という「練習」をする。


しかし、意識的な動きというのは、実は部分的であったり、ただの力みや『くせ』だったりする。


そこで、自然体に向かってひたすらチューニングし、その過程で氣感を生じさせて、「力み」や「うまくやろうとする意識」を抜いて、からだにまかせてやってもらう、ということを筆者は最近はせっせとやっている。


チューニングで、身体表面を「整いの方向」に「イメージ誘導(もしくは体感記憶の再生)」するのを、


「逆に皮膚から離れた部分を意識して方向付けした方が、芯奥部に効きまっせ」


との指摘は、S川さんからずいぶん前にもらった。これは実にその通りなので、今では全面的に採用している。


M安@国語のせんせが、今しみじみとその効果を感じているところである。


皮膚重視から、骨格に添ったものに組み立てなおして「自然体チューニング」と仮称しているが、いささか手つかずなのが、骨の中でも椎骨、背骨。


整体の野口先生も「背骨に息(氣)を通す」ことをずいぶんと重視されていた。


意識的に(イメージで)やっているが、これがなかなか難しい。


しかし、冒頭に述べた自説に添えば、それは練習が間違っているんじゃないか、ということになる。そのことそのものを、意識的にやっていることになるからだ。


ようするに「背骨に氣を通そう」と意識的にくり返すことが実は遠回りの道であって、「背骨に生じた氣感がモノレールのようにスムーズに丹田に向かう」結果が生じればそれが正しい練習ということになる。


そこで「S川、ちょっと離れた反応点説」にのっとって、背骨の中心管に通る氣感(てごたえ)が生じるラインを背骨以外に探してみようと、つい10分前に思いついた(とたんに、この文章にしているので、まだやってない)


さらに「なにごとも意識的にやろう」とする「思いこみ」自体が、「脳のコリ、こわばり」である、というフレーズが浮かんできた。ということで、脳へのゆるみ反射が生じるポイントも探してみようと思いついた。


同様に「目」もテーマとしてやろうと思っている。全て「先ほどそうおもいついたばかり」なので、結果は書けない。


整体稽古会参加のみなさん、自然体チューニング参加(または別講座の中で実習中の)みなさん、「これだ!」というのが見つかったら、どうぞご報告下さい。


愛情あふれる筆者は、「はい、正解!」などとは決していわず「ふ〜ん、どうかなあ、くっくっくっくっく」と対応するであろう。


そうすることによって、あなたは


「え、あれ、違うの、えっえっ???合ってるの????」


と混乱し、もしかしたら違うかもしれないと精緻に検証しようとするであろう。「他にももっといいものがあるかも!あるかも!あるかも!」と血眼になって探すであろう。


それこそが力になり、血肉になるのである。


ちなみに、筆者にみなさんからもたらされた仮説が、筆者が今だ見つけざる「きわめて正解の可能性の高いもの」であると筆者が感じた場合は、筆者は表面では


「さ〜あ、どうかなあ」


と言いながら、そしらぬ顔で内面ではその瞬間から練習を開始し、身につけにかかるのである。


これこそが正しい師弟関係である。


なぜなら、報告者は探求力が向上し、筆者は実力がアップし、発見された理説は、それをもっとも大事にする人(私ね)のところで大事にはぐくまれるのである。みんな幸せである。


ゆえにこれが正しい。


「続 三丁目の夕日」でも、両親に捨てられた淳之介は、結局大会社の御曹司としての道を選ばす、茶川先生のところで幸せを感じるではないか。大事にしてくれる人のところに行くのがいいのである。さらに茶川先生は、そのことによって淳之介にまともな教育をうけさせるべく、芥川賞にチャレンジするのである。さらにその結果、愛する「ない指輪を夕日にかざす踊り子のヒロミ(小雪)」は・・・・(^-^)。(続きは映画館で)


やはり筆者は圧倒的に正しい。続・三丁目の夕日でもそれは証明されているのである。




以上の文言に文句のある人は、内田樹老師の「先生はえらい」(ちくまプリマー新書)を熟読し、正しい師弟関係について学び直されるのがよかろう。


追伸

ついでに今年の筆者の年賀状(くっくっく(^-^) 昨日ついに完成した!)をほしいという方は「続 三丁目の夕日」を観ることをおすすめする。年賀状希望者は言ってね。