1005話 正月4日 食って滑って

今日もまた、朝からせっせと一時間事務仕事を片づけて、9時30分、洋子(義妹)ちゃんのところへ出発。


太っちゃんが、タマネギを炒めるだけでも「3時間はかけた」という「一泊二日仕込みの極上カレー」をごちそうになり、お礼に?(というわけでもないけど)「3年間、ずぅ〜っと痛いんです」という「痛い硬い上がらない、後にいかない」という硬直した腕肩」を整体する。


休憩の後、臨海スポーツセンターへ。


今日はたいちゃんたちも一緒にスケート。


これで生涯三回目のスケートである。最初の一周は昨年に行った前回よりも劣ったけれど、二周目でほぼそれに並び、三周目からは少し上手くなる。


二周は「チューニングをかけながら、可能な限り力を抜いても滑ることのできる感じ」を求めてひたすら歩き、いい感じになったら一〜二周ほど楽しく滑る、というのをくり返す。


というのが「意識した練習」。


浅田真央の滑っている最中のイメージを思い出して、それを整体的にスキャンして、身体意識を同調させ、「なったつもり」で滑る、というのが「意識しない練習」。頭でイメージしても変化は少ないが、体そのものの情報を「くみ取れるレベルで同じ」にすると、いきなり視界がひらけて力みが抜ける。


もちろん、筆者がいきなり三回転ジャンプができる、というわけではない(あたりまえだ)へぼましになる程度である。


ちなみに途中から浅田真央から高橋選手に乗り換えるが、どちらかと言うと浅田選手の方が滑りやすい。


決してこれを「たわごと、妄想」だと聞き流すなかれ。今朝の読売新聞でも養老孟司先生が書かれている。


「生物というのはもともと、次の瞬間にどう動くのか決まっていない。最も抵抗なく次の行動
に移れるのは、ふわっとした状態だ。どこかに力が入っていると、ある方向に動きやすくても、別の方向には動きにくくなる。」


「人間の知性を考える時に、体や無意識を含めずに考えても意味がない。知性とはそういう総合的なものだろう」


そうである。真央化している間の筆者は、確かに「ふわっとした状態」なのである。これが「気のせい」ではない証拠に、あさちゃんにも「浅田がけ」をすると、とたんに上手くなる。しかし、しばらくすると、あさちゃんなりの「意識した(自意識がこわばりを生む)パターン」に戻るようで、「お父さん、かけて」とやってくる。


かけるたびにうまくなっている。


「気のせい」ではないが、「氣のせい」であるのは確かである。(ややこしいね)


3時間ほど滑って一度T杣家に戻る。洋子ちゃんを整体。つづいて今度は岸和田方面へお出かけ。どういう審査基準や対象なのかは知らないけれども、とにかく「ランキング一位やねんて」という【神座(かみくら)】のラーメンを食べに行く。


確かにおいしい。けど、百席もあって、超有名で、最初から行列を前提にしているお店というのは、親近感という意味では、筆者の好みではない。やはり「隠れた名店」を「偶然見つける」のが楽しい。


岸和田駅で家族とは南北に別れて道場へ立ち寄る。


明日からの稽古始めに備えて、掃除、年賀状のチェックと返信書きなどを行う。


年末も出席者が多かったが、年始初日の明日もまた予約が多い。整体は予約の空き時間はまったくなくなった。ありがたいことである。


整体は、朝の整体武術、午後のヨガ、夜の整体教室の間の時間を全て当ててあるので、整体の予約が全て埋まるということは、朝の9時20分から夜の8時30分までまったく空きがないということである。何か無謀なスケジュールのような気もするが、ありがたいことである。


いっそうの克己勉励研磨育成を誓うものである。