神の手 

「神の手」という写真がネット上で出回っているらしい。


筆者に送られてきた「それ」は「沖縄で7年に一度あらわれるものだそうです」と、添え書きがあった。雲の写真なのであるが、人の両手が手のひらを上に向けているとしか見えない形になっている。


筆者の所属するメーリングリストにくだんの写真が投稿されて、二三の「感動の感想」が返りはじめたところに届いたのが下記のメール。


「神の手」という画像は海外で作られたCG写真だそうです。
「神の目」同様チェーンメールの一種です。
友人達には送らないほうがいいと思います。
「神の手」で検索するといろいろ出てきます。

「結論から言えば、この雲写真は加工されたものです。
どうやら、4年ほど前に海外で別の目的で作られたものが、
「7人に送ると幸福になる」とのコメントを付けられ
チェーンメールとして出回ったのが真相のようです。

もちろん、筆者はどちらも「裏を取ったわけではない」から、「CG合成」だというメールこそが実は「神をも恐れぬふとどきメール」である可能性だってないこともない。


ただ、筆者は、最初にこの「神の手写真」が投稿されて、すぐに感動の感想メールがメーリングリスト上に届き始めた時に「なんで?」という感触を持った。


「沖縄で」「7年に一度出現する(らしい)」「神の手という名前」以外には何も情報のついていない写真が、どうしてそんなにありがたいと思えるのだろう。


おそらく「手の形をしていた」というあたりで色々と受け取り手が想像をふくらませられたのであろう。どうも「手の形」であると、それは「神様の」というものと容易に結びつくのであろう。


これが「フランスパン」であったら、ありふれていそうで、誰も感動しないであろう。「神のパン」といって世界中に駆けめぐることはないであろう。


「カマキリの前足」、とか「ボブサップの右足」でも神と結びつくことはないだろう。


実際このブログでも「日輪に輝く火の鳥のような雲」を紹介した。しかしこれは「火の鳥のようで綺麗だな」と感じたから紹介したのである。実際にあの大きさの火の鳥が飛んでいたら、それは「ラドン」である。大事件である。


西日にかかっていた雲であるから、同じ日同じ国道を同じ方向に走っていた幾百の車が同じ雲を見ていたであろう。しかしながら全車を上げて感動し、雲を見続けていたのは、我がセレナに乗っていた4人の他にはあまりなかったであろう。

だってまぶしかったんだもん。


筆者は、しょっちゅう空を見上げる。海も見る。電車が鉄橋を渡るとき、ビルが途切れて広い空が顔を出す。紀ノ川でも淀川でも空が広くなるとほとんど見ている。南海電車が海岸沿いを走るあたりもまず間違いなく海を見、空を見、雲を見ている。


だって気持ちいいんだもん。


火の鳥」の時も、高野山合宿の帰りというシチュエーションであり、その火の鳥雲に「それに気づいたものへの無言の祝福、励まし」の意味を勝手にくみ取ったのも事実である。


筆者は、何をしてくれるかわからない「神の手雲の背後にある力」(=神?)よりも、ただの雲に自らに都合よく建設的創造的な意味を見いだすことのできる人間の能力の方が「すごいなあ」と思っている。



【親父ドラゴン日記】

本日模試。五教科、自己採点で前回より50点アップ(^-^)

【以上 1007話】