1017話 ・・・になるトレ

視力が回復しつつあると、嬉しくなって、やはり目に関してあれこれ試行錯誤する時間が長くなる。


車に乗るときに「車を運転する私」になるとくたびれ、車と一体化すると「芯がゆるみ、氣が通り、楽になる」というようなことを以前書いた。


そこで、二つを合わせる。


「俺はこの車の目の部分だ」トレーニングである。


やはり目の気持ちは、目にならないと分からないであろう。目になろうとしたら、身体がないと、そのかかわりは分からないであろう。


ということで、車が身体で、筆者が目。


車が、目に対して「どんなふうに見て欲しいか」を感じ取りつつ、目は身体とのかかわりをどのように感じているか、というのを味わいながら運転する。


なるほど。なってみなきゃ分からないことがずいぶんとあるようだ。