1034話 右脳・左脳に右往左往

右脳と左脳という言葉や、その「役割分担」に関しては、世間の多くの方が認めておられるようである。


特に「右脳トレーニング」なんてのは大流行(でもない?)である。少なくとも書店の「自己啓発・能力開発」のコーナーにはたくさんの本があるから、右脳トレーニングは「自然体チューニング」の数万〜数百万(おおざっぱだ)倍の知名度はあるのは確かだろう。(意味のない比較だった)


みなさん、脳を開けて見たわけでもないのに、右脳左脳の役割分担について、いつのまにか認知されている。


本もたくさん出ているし、能力開発本の「重要なポイント」にも再々登場してくるし、筆者実行中の「速読」にもキーポイントとしてあるし、右脳速読なんて本もある。


お金をつぎ込んだ、という話は聞くが「成功した!」という話は聞かない。


筆者、その「成功する人がほとんどいない」原因の一つにハタと気がついた。って自分ももちろんその「成功しない」一人だから気づいた。


今週の火曜日からついに踏み切った「人体の役割 左右分割分担方式」の採用によってである。


「右脳開発」に熱心な人は、もちろん「左脳型」の人である。「右脳型」の人が、時間と労力と金銭を費やして「右脳トレーニング」をするわけがない。女性が女性に性転換したいと思わないのと同じである。だってする必用ないじゃん。


左脳型の人がなんとかしたいと取り組む「右脳トレーニングであるが、おそらく「左脳型」の人は苦心惨憺して「左脳的」に「右脳トレーニング」に励んでおられるのである。
なぜなら、その人が「左脳的だ」という場合、その人のやることなすこと「左脳的」であるはずだ。脳は左脳的だが、行動行為は右脳的ということはありえない。


だって、左脳型の方々は、その「左脳型的行動行為」によって「自分は左脳型だ」と自覚し、左脳型ゆえにうまくいかない部分を、右脳型に切り替えることによって「バラ色の未来」が得られると思って、人によっては大枚費やして「右脳トレ」に励むのである。


どういうふうに励むか。


もちろん「左脳的」に励むのである。左脳的動作行為をくり返すがゆえに、いつまで経っても効果が表れないか、すぐに「左脳的」に戻る。当たり前だ。


衆目の見る人体は、「脳優位」で「身体は下流」である。


左脳右脳はありがたがるが、身体の左右に関しては実に冷たい。


手の左右に関して例えれば「右手は手先の作業に慣れているから器用、左手は不器用」という程度の認識しかない。同じ機能が用意されていて、後は「慣れ、不慣れ」という程度に片づけている。


これが大いなる過ちであったのである。


右脳左脳というのは、ワープロソフトからすっきりと出てくるが、「右体」「左体」もしくは「右身」「左身」という文字は出てこないことからも、いかに軽視されているかが分かる。あるのは『右往左往』ぐらいである。


右脳だ左脳だと騒がれると同時に、右身・左身にも目を向けるべきであったのだ。


おおよそ割り出した左右の役割分担に添ってチューニングした時の変化は恐るべきものであった。インスパイア大澤さんは、さっそくその感動をコメントに書かれている。


柔軟性、瞬発力、耐久力の全てが一気にアップした。


であるならば、目も左右の役割分担をチューニングすれば、その本来の実力を統合して出して来るであろうという見込みを立てた。


そこで水曜日木曜日と左右の目の役割分担を研究した。・・・ら、左右でまるっきり違っていた。手と違って、同時に使うから「効き目」とそうでない方という程度の認識はあっても、明確な役割分担があることに気づかなかったのだ。


いうなれば「右脳的な目」と「左脳的なものに相性のいい役割の目」があったということだ。


もちろん、左右の目の役割分担のうち「左脳的な使い方をする目」を主として使っていた筆者であったことは言うまでもない。


そこで、そこで速読の「高速視覚 見方変換」トレーニングの際、右脳的な役割を持つ目の方に少しシフトを移すようにしてみた。


大当たり!


一気に「右脳【的】速読」になり、またしても理解度と読書速度が上がった。(筆者自身の壁を破ったという意味で、『右脳速読本』に歌われるような一分間に何十万字も読みとれるとか、いきなり写真のように記憶に焼き付くとかそういうレベルではないですから、念のため。今までより右脳寄り【的】速読です)


コロンブスの卵だ。


さっそく自宅へメールし、ひろきに予告する。


「マタシテモ秘策発見ス 期待シテマテ」


帰宅してさっそく秘策を授ける。


くっくっくっく。大成功。