1037話 またまた右往左往

寺子屋で、平谷さんが「サンドイッチ用 薄切り食パン」を配布された。


気がつくと、手元には「輪切りバナナにリンゴヨーグルトをかけまわしたもの」に「数種の摘み菜にさざんかの花」などが用意され、「ご自由にパンにのせて召し上がれ」が始まった。


パンにトッピングする際には、右手で取って左手で受けるからそのままと言えばそのままなのであるが、その場でパンを食べていたメンバーは、食べだしてずいぶんたった後も、やはり左手で持ち続けている。


人体の右に位置する器官部分は、前に向こうに遠くへ未来へ、働きかけるとの役割を受け持つ。


人体の左に位置する器官部分は、手前にこちらに、受け取る・同化するの役割を受け持つ。


これが「人体左右分割役割分担論」のあらましである。


すると、左手は『手前にこちらに、受け取る・同化する』の役割であるから、箸という道具に拘束されない状況では、無意識に「自分に受け入れる作用の大きい」左手を使うのではないか、という仮説を立てた。


ということで、自宅でごはんを食べる時に、右手で持ってみた。どちらが持ちやすいかという観点では「経験豊富」な左手に軍配が上がるのは必然であるから、比較実験にはならない。そこで「どちらが『うまそう』に見えるか」という点に注目してみた。


がぜん左である。他の家族にも確かめてもらった(我が家の家族には時々こういう不思議な指令が下される)。全員が左手で持った方が「うまそうだ」という。


やはり。


つまり、左でお茶碗を持つという和食の型は、「もっともおいしく食べるための型」なのであったのだ。


こういったことを把握できた前提には目の左右差の確認があった。


講座でも説明したが、左右の目の見え方を丁寧に観察すると、右目はサーチライトで左目は鏡である。


右目は対象を特定したがり、左目はそのまま受け入れる。詳しくはもっともっとあるけれど、基本はそんなもんである。


キャッチボールは右で投げて左で受けるが、それは「右手は器用だから投げてもらって、仕方がないから左は受ける方に回ってもらおう」というようなものかと思っていた。


違う。これまた確かめてみた。


投げる的として左手を出してもらう方が「投げやすい」のである。


右で受けるキャッチャーってほとんど見ないのは、必然的にそうなるのではないかと思う。ピッチャーが投げにくいのである。


つまり「投げる」という行為が主体で、受けるという行為は「便宜上しかたなく左手」なのではなく、投げると受けるというそれぞれに得手な役割分担をしているという感じなのである。


右は前に出て左は受け入れる。


男女が抱き合ってくるくる回る「愛のよころびを表現した」映画のシーンなどがある。ベッドを背にした男が女性を抱きしめ、ぐるっと回転してベッドにというようなシーンもなかったも知れないが、あるように思う。


対面で抱き合うと、お互いが「前に出る」右側を「受け入れる」左側がむかえるという形になる。すると抱き合った後、エネルギーの方向は時計回りの逆回りに動くのが自然である。陸上のトラックの方向である。


時計逆回りにくるくるという現象になるはずだ。


学術的にぜひ確認したい。しかし、映画テレビ町中で「抱き合ってくるくる回る恋人たち」を相当数サンプリングするのは非常に時間労力がかかりそうである。


イメージとしては「健全?な恋人シーン抱き上げてくるくる」の場合は、上記した方向ではなくって、なぜか時計回りにぐるぐるというイメージが湧く。


そのままもつれ合ってベッドへという場合はトラック回りによよよよよ、というイメージが湧く。


イメージは湧くが、個人で『相当数サンプリングするのは』そこになんら問題が生じないというのであれば、ぜひともサンプリングしたいところであるが、やはり相当な問題が生じる可能性が確定的に大きい。一方自分以外の誰かが『相当数サンプリングしてきました!』と言ってきても腹が立つので、この研究はやむなく封印することにする。